最初は世界一周なんてできるとは考えもしなかった。
いけるところまで行ってみよう。半年で帰国する
ことになってもいいじゃないか。

ただできるだけ多くの国とその国人達の生活に触れて
みたい、彼等と話しをしてみたいとは考えていた。

気がつくと釜山行きのフェリーに乗るため
下関のフェリーターミナルにいた。


韓国編

1995年9月吉日、海外へ出るのは1989-1990の
オーストラリア以来5年ぶりだ。

下関で乗り込んだフェリーは、翌朝には釜山に
到着していた。下関のフェリー乗り場では韓国から
日本に買い出しに来ている行商のおばさん
おじさん達にお礼するから荷物を運んで
くれないかというオファーを断るのが大変だった。

ほとんどがラジオやウォークマン等の電化製品で
釜山では日本人観光客はほぼノーチェックの為
一つでも申告する製品を減らしたいのだろう。
ただラジオの中身がラジオである保障はない。

初めての韓国で最初に目に付いたのは
教会の多さと夜になると赤く輝く十字架。

市バスの運転は限りなく荒い。カーブが迫るたびに
乗客は吹っ飛ばされないように手すりにしがみつくのが
精一杯だった。

風景は隣国だけあってそんなに違和感も受けず
食べ物は何を食っても美味い。

釜山からは秋夕*1(チュソク)の大渋滞のなか
バスで慶州(キョンジュ)、列車で丹陽(タニャン)と
数泊ずつしながら一週間かけてソウルへと入った。
  

*1秋夕(チュソク)
 韓国のお盆にあたるもので(旧暦8月15日)日本の
 盆暮の交通渋滞よりましとはいえ、30キロ以上の
 渋滞はざらなので疲れる。

 
Kunpoo
典型的な教会


Kunpoo
仏国時@慶州
もし世界一周をしようとするなら
一度考えてみてほしい。

西回り

・時差によって時間が戻っていくから
 朝チェックアウトして移動をしても
 まだ明るいうちに目的地へ着き宿探し
 や買い物など行動ができる。

  ↑実はコレすごく重要。

・アジアを抜けてヨーロッパに行くなら
 アジアにいる間に沢山の友人をヨーロッパ
 に作ることができる。

一体どれほどの友人に助けられたであろうか。
宿泊はもちろん、その国の習慣や名物料理
穴場の観光地などなかなか一般旅行客では
知り得ない事を教えてくれる通訳兼ガイドに
彼等は喜んでなってくれたのだ。

もちろん彼等が日本を訪問した際は喜んで
彼等のガイドになるつもりだ。

東回り

・西回りの逆で朝出発して数時間のフライトや
 国境越えの後、現地で日が暮れているのは
 治安の面や安宿を探す上で非常に不利になる
 ので出発時間を熟慮しなければならない。

・長所といえば、なんだかんだ言っても
 アメリカ、西ヨーロッパ、北欧の物価は高い。
 しかしある程度予算をかけないと楽しめない
 のもまた事実である。

 だからまだ懐の温かいうちにアメリカと
 西ヨーロッパ、北欧を楽しむことは貧乏に
 なってから到着するのとはまるで違う旅に
 なるだろう。

アメリカ、ヨーロッパを抜けてアジアへと進むに
つれ旅もますます過酷・・いや楽しくなるだろう。
その理由は実際に経験して解釈して欲しい。

$Kunpoo
・フロリダのビーチにて
あの頃は全く無知だった。

1989年オーストラリアでバックパッカーと
いうものに出会い1995年に自らバックパッカー
として出発するにあたりガイドブックはどうした
ものかと思案した。

まあこれから何十カ国もいくのだからいちいち
各国のガイドブックも持ってけないし、
世界地図だけ持って行ってあとは現地調達でも
いいか~・・なんて考えてた。

あほだった....OTL

一体どれほどの無駄な時間、体力、精神力を
たった一枚の地図、目的地を探すために
費やしてしまったのだろうか。

当時、東アジア・東南アジア・西アジア・内戦が
終わって間もない国ではツーリストインフォなど
期待できるわけもなく、右も左もわからないので
現地の人や他の旅行者に聞きまくるしか方法が
なかった。

おかげで安宿や安くて旨い店を嗅ぎわける感や、
現地の人が言っていることを推測する力は身に
付いた。ある意味貴重な経験だが、時間に限りが
あるならガイドブック片手にサクサクッと時間を
有効に使うほうが賢明だと思う。

当時日本人バックパッカーは歩き方*1をよく
持ってたね。欧米のパッカーはロンプラ*2か
サバイバルシリーズをよく使ってた。

どっちを使うにしろ現地情報というのは刻一刻と
変わるのでガイドブックは鵜呑みにできないのだ。

歩き方はよく“地球の迷い方”と呼ばれてたなあw

旅行人という雑誌ははパッカーの間では評判が
良いガイドブック的な存在だった。ツアー旅行が
前提のガイドではなくパッカー向けにディープな
情報や地図が好評だった。

今では現地のライブ情報が携帯端末から手に入る
時代だから、一昔前に我々が直面した困難など
軽く越えていく旅のスタイルなんだろう、きっと。

ただどんな情報も発信された瞬間から過去の
情報となるので、肝心なのは信頼できる最新の
情報を本人が有意義に活用できるかどうかだろう。

*1 歩き方→地球の歩き方

*2 ロンプラ→ロンリープラネット


$Kunpoo-世界地図

※実際に持って行った世界地図帳(薄い!)
昔から海外で活躍されてる日本人の方は
有名無名を問わず星の数ほどいる。

彼等の活躍は日本人に勇気と感動を与え
ているが、国外で彼等の姿に触れることが
出来たときはまたひとあじ違った感動を
受けることができる。

それは異国で踏ん張ってる自分や逆境で
もがいている状況において、彼等の活躍が
明日への糧へとなっているからかもしれない。

昔、WGP(現MotoGP)しか見てなかった僕が
F1を見だしたのは鈴鹿でF1が行われる
1年前の1986年からでそんなに古くない。

正確に言うと当時まだ開催されていた
富士グラチャンやF3000を友人の影響で
見始めたのが始まり。

1987年の第1回鈴鹿F1GPでは第2コーナーの
丘の上(←この場所重要)で、でっかい
「GO GO 中嶋 LOTUS」の旗を振って
中嶋選手を応援していた。

その日本人初のフル参戦F1パイロット
中嶋悟さんのベストレースに必ず入るで
あろうレースを、幸運にもオーストラリアの
アデレードで見ることができた。

雨のアデレードでファステストラップを
叩き出しながら3位を猛追する中嶋選手。
グランドスタンドで聞ける放送では
〝NAKAJIMA〟を連呼している。

あの鬼神の走りを目の当たりにすることが
できた僕は幸せだと思ったと同時に日本人で
あることを誇らしく思えた瞬間だった。

当時はアデレードの市街地コースでF1を
開催しており、レース後は当時のヨーロッパの
レース後と同じく観客は平気でサーキットに
なだれ込んでいた。

僕もロータスやいろんなチームのピットや
テントで中嶋選手やセナを間近に見ることが
できて感激したのを憶えている。

次回韓国編へつづく

$Kunpoo-N.satoru

※アデレードを疾走する中嶋選手@予選
オーストラリアの面積は日本の約20倍も
あり赤道に近い州から南極に近い州まで
東西に南北に広がっているので自然も
多種多様の様相を見せてくれる。

僕はスキューバのライセンスをケアンズで
取得したのだけれども、海洋実習で潜る
グレートバリアリーフの魅力にすっかり
魅せられてしまった。

カラフルで様々な形の珊瑚や、南国特有の
色鮮やかな魚たち。巨大なシャコ貝や
威風堂々ナポレオンフィッシュなど魅力は
尽きない。

たまーにおとなしくないサメにも出会う
のでちょっと怖かったり(汗)

翻って日本の自然は美しさが箱庭的で、
世界中の素晴らしい景観を小さくして
ぎゅっと宝箱の中に詰め込んだみたいだ。

日本には砂漠はないが砂丘ならある。
エンジェルフォールはないが那智の
滝ぐらいならある。ヒマヤラみたいな
山脈はないが日本アルプス程度の高さ
なら・・・比べるには無理があるか(笑)

ま、雄大さにはかけるかもしれないが
小振りでも可憐さや儚さ、侘び寂びに
美しさを見出す精神は日本の自然から
育まれたのかもしれないね。



Kunpoo-uluru

・朝日に映えるエアーズロック(現ウルル)※セスナより


Kunpoo-GWR

・グレートオーシャンロードの絶壁