最近では日本の若い人たちの間でも定着
しつつあるシェアもオーストラリアでは
昔から普通に行われてました。

日本とはアパートを賃貸する時の習慣が
多々違うことがあるのでとまどうことも。

賃貸物件は新聞で探すことが当時は一般的で
直接不動産屋か大家に連絡をとり、内見の
約束を入れることから始まります。
(今ではネットでしょうか?)

なかなかに興味深いのが北向きの部屋や階段しか
ないフラットでは下の階の方が家賃が高いことも。
北向きが人気なのは南半球だから(笑)

このシェアリングはこれから人が生きていく上で
さらに重要になってくるやもしれませんね。

今ではハウスシェアリングの他にも
カーシェアリング、ワークシェアリングなども
一般化しつつありますし。

地球上のあらゆる資源を人類全体で等しく
消費するのは不可能ですから、現存するパイは
可能な限りシェアしていくのがこれからの未来
共存していくヒントかもしれない。

$Kunpoo-flat
生まれて初めて車を買ったのも
オーストラリアだった。
友人の友人から1963年製のMINIを買った。

日本と違っていつまでも古い車が走り
続けているオーストラリアではさほど
違和感はなかった。

窓は障子のような引き戸タイプなので、
全開でも半分しか開かない上にエアコン
なんかついてもいないので夏は熱風が
吹き込んでくるばかり(笑)
(冬だけはヒーターが使える)

修理も何度となくやった。ガソリンタンクに
穴が開いてガソリンがトランク内に漏れ出し
スペアタイヤが溶けていたことも。

それでも僕や友達を学校や様々なところへ
運んでくれたこの車には思いでが一杯である。

Kunpoo-mini1963
僕が初海外でオーストラリアに渡った頃の日本は
バブル景気の頂点を極めようとしていた。

あの日本全体が狂喜乱舞していた時代に
疑念と憤懣ばかりが溜まっていた僕にとって
オーストラリアは理想的な土地に思えた。

贅沢ではないがシンプルで人生を愉しむことに
重きを置いた生活。

オーストラリアで経験した多くの事は今でも僕の
生活のベースになっているのかもしれない。

オーストラリア生活の終盤、パネルバンという
荷室がある車を買い、荷室をすべて寝室にして
アデレードからケアンズまで旅した時、はじめて
バックパッカーという旅のスタイルを知った。

都市間の移動中は基本車中泊だったが街に逗留
する際はバックパッカーやユースを利用していた。

そこには世界中からバックパックを背負って
オーストラリアを旅している者、あるいは
世界中を旅している若者が集まっていた。

海外初体験だった僕はあくまでも自由な彼らの
旅のスタイルに衝撃を受けいつか自分もと
心に決めた。

だがそんな旅にあこがれて実際に旅にでるまで、
帰国後5年近くを東京で送ることになる。

Kunpoo-Bush Walking
1989年(昭和64年)

僕にとって生まれて初めての海外は
オーストラリアだった。

初めて訪れたエアーズロック(現ウルル)は
夕刻になると刻々と表情を変え
陽が落ちてからまもなく橙から朱へ激しく
燃え上がったかと思うとあっというまに
静かな眠りへと落ちていった。

$Kunpoo-ウルル1