2018年5月

38歳で妊娠中に乳がん発覚

生後3日目に針生検をし

新生児を抱えながら抗がん剤治療が始まりました

現在はホルモン療法中です


乳がん発覚時のことや治療に関することを

振り返ってブログを書き始めました

あくまでも私の場合であり

皆様それぞれ違うかと思いますが

乳がんの早期発見に

そして治療中の方やそのご家族が

前を向いていられますようにという想いで

綴っています


乳がんがわかった経緯を

最初から読みたい方はこちら⇩

①長男への授乳の時に感じたこと 


初回の抗がん剤の辛さを

義母にならと思って正直に話しました


その夜

心配した義母から主人へ連絡があり


「抗がん剤が終わるまで

 赤ちゃんは

 我が家で預かります」 


の文面を見て私は凍りつきました



前回はこちら⇩



義母はすごくパソコンが

得意というわけではないけれど

タブレットを使いこなしていて


乳がんのことや抗がん剤のことも

いろいろ調べていて


気になる記事があると

プリントアウトして

渡してくれていました




電子機器は全くだめの実母とは違い

義母は

本当にいろいろと調べることができて



そのおかげで

いろんな情報に右往左往していましたが

どの情報がどのくらい正しいか判断が難しく

義母が心配していることは

「今度先生に聞いてみます」

と主治医に聞くことを

約束するようにしていました



特に抗がん剤が始まる前

義母は

「抗がん剤治療中は子どもにも

 汗やトイレを介して

 抗がん剤がついてしまうので良くない

 赤ちゃんだけでも我が家に!」

と心配していたのですが



心配事はその都度すべて主治医に確認し

「問題はない」との回答をもらっていたため

娘も息子も

抗がん剤治療中も

私と一緒に過ごすことを選択していました




けれども

今私が

こんな状態になってしまったことを知り

心を痛めたと思います



母親である私が自暴自棄になっていたら

かわいい孫が心配で当然でしょう

苦しい思いをしないように

悲しくならないように




そして私の体調や心の状態を心配して

「少しでもゆっくり休めるように」

そんな気持ちから

娘を預かると言ってくれたのです

それはわかっています




けれども私は

こんな自分がこんな状態になっていても

娘をつれて行かれるのは嫌だ


絶対に絶対に

嫌だ



抗がん剤が終わるまで

あと4ヶ月もある




あと4ヶ月

娘と離れ離れなんて…

娘に会えないなんて…




これからこの子は

私の顔がだんだんとわかるようになって

目を見て「アー」とか

かわいい声を出して笑うようになるんだ


うつ伏せにしたら

一生懸命首を上げるようになって

いつの間にかコロンと

寝返りをうつようになるんだ


今ここにあるメリーだって

今はよくわかってないけど

見たら目で動きを追ったりするようになって

手足をバタバタさせて喜ぶようになるんだ



それを

すべてすべて

見ることができないなんて!




娘はここから先4ヶ月で

今できないことが

たくさんできるようになっていく



一生懸命生きようとする力が

そんな奇跡のような

成長を見せてくれることを思えば


私が今できなくなったことなんて

大したことではないはず



家族のそばで過ごし

家族の笑顔でお互い支え合えばいい


それだけで十分なはず




今娘が別の場所に行ってしまったら

もっと私はひどい状態になる

楽になんてなるはずない



抗がん剤が辛いとか

言ってる場合ではない



今ここに

家族と一緒にいられることだけが

私が頑張れる原動だったんだ




私は娘を預かってもらうかどうかは

1秒も迷うことなんてなく

自分がどうしたいのかは

決まっていました




義母には感謝の言葉と私の気持ちを話し

もう少し頑張りたいので見守ってください

なにかのときには一番に

お願いしたいと思っている



そう伝え

やっと生後50日を迎えた娘の顔を

そっと私の顔に近づけました



やわらかな

赤ちゃんのにおいがする…




痛みの副作用は投与後7日目ぐらいに消え

痛みがなくなっていくと共に

私の気持ちも

自分でもわかるくらい

静けさを取り戻していくのでした