何かを調べて得られる情報。
実際に体験して得られる経験。

ここには大きな隔たりがあります。

どういう世界観で観えているのか。

それによって僕たちは、
同じ言葉に触れていても全く違う認識をしています。



もう少しいうなら
物理的に存在していると思われる世界そのものが幻想です。

 
理解しづらいかもしれませんが、イメージとしては「夢の中の夢」あるいは「合わせ鏡に映る自分」です。  皆さんが見ている世界は、自分の心が生み出した、あるいは他人が生み出した幻想です。そして、他人が生み出した幻想もまた、別の他人が生み出した幻想です。  そして、別の他人が生み出した幻想も……。(略)
人は覚醒すれば、明らかに世界が変わることを知ります。目の前のリアルなものがリアルでなくなる瞬間、『マトリックス』のように馴染みのある風景が崩れ落ち、物理的現実世界が虚構であることを知ります。テレビ画面にしか向けられなかった視野が画面の外側へと開けていくように、急にこの世のカラクリが見えてきます。
(苫米地英人著『幻想と覚醒』)

以前の記事では、

未来に原因があって、現在はその結果である
ということに絡めて一緒にみてきました。


 
あなたがこれまで「現実」と呼んできたもの。

それは、
過去の記憶が投影している“仮想的な現在”にすぎません。

過去に蓄積された映像が、
あなたの内部表現を通してスクリーンに映し出されているだけ。

だから僕たちは、
同じ景色を見ているようでいて、

実際には「記憶を見ている」に過ぎないともいえます。

けれど、
Khronosが扱う現実は逆向きです。

僕たちは過去を参照して生きているのではなく、

未来に存在する構造(情報場)を通して生きる。

未来の秩序が、
あなたという観測者を通して、
いまという現実を形成していくのです。

これは可能世界(クリプキ)を踏まえている話で、異なる世界線の干渉としての視点が入っています。

可能世界なり、多世界というのが単なる思考実験の産物でも、机上の空論でもないことの証明が量子論における二重スリット実験でした。



新しい視点というのは、観る世界を一変させます。

 
「おそらく私はその種の哲学を使ったでしょう」アインシュタインは答えた。「しかし、それでもやはりそれは無意味です。あるいは、もう少し控え目な意味で、われわれが実際に観測するものを思い出すことは発見の手順としては価値のあることと言えるかも知れません。しかし原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてある理論を作ろうというのは、完全に間違っています。なぜなら実際は正にその逆だからです。理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。
(W.ハイゼンベルグ著『部分と全体』p104)

ただ、こういった視点の獲得は、

これまでとは全く違う自分への変化であり、
新しい世界の移動をすることでしか手に入ることはないのだと思います。

言葉を知るだけではインストールされない、
ということ。

圧縮できないリアル(密教的)な体験を通してしか、本当のことを知ることはできないということを日々実感します。

T理論の偉大さも、グラフの凄みも。

いろんな企画へのご参加ありがとうございます。
変化を楽しんでいきましょう。

ではでは、今回はこの辺で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

追伸:
感想・ご質問、大歓迎です! 
たった一言でも構いません。もし何か感じたことがあれば、ぜひシェアしてください。言葉にすることで、見えなかったものが形になり、次の扉が開いていくのです。
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