昨日(1/8)はとうとうダウン、昨年来の根知と咳でとうとう会社を休んでしまった。
寝床の中で朦朧としていたがいろいろなことが頭に浮かぶ、
夢なのかなんなのか分からないがすごいスピードでいろいろなことが浮かぶ。
ラジオをつけて寝ていたのでニュースなどを聞いていたかもしれないがその中で頭に浮かんだことで一つだけ思い出した。
それはこの不景気の原因は何かな?と
景気が悪くても場ぶっている人たちはいる、その反面として住みところまで無くなって都などの斡旋で2週間(?)だったかな、宿舎を用意してもらった人たちもいる(無論この人たちは無職)
なぜこのようなことになったか、朦朧としているおじさんの頭に浮かんだのは中間層が減った(いなくなったの)のが原因ではないかと。
世のなか収入的には三階層で
高所得者層(20%)
中間層(60%)
低所得者層((20%)
位が適正かと・・・・比率は色々あるだろうが消費拡大は中流意識を持った中間層の比率拡大が一番)
高所得者層の消費は総量的には消費拡大とはならない、
なぜかというとすでに生活必需品は購入の必要が無い(持っている)、
購買意欲を高める超高級品等についての市場規模は高が知れいている。
貧乏層はエンゲル係数が高く収入の大半を固定費的な食料品などで出費していしまう、したがって総量的な消費拡大とはならない。
中間層はエンゲル係数的にも比率が低く収入に見合った中でも可処分所得が高く(気持ち的にもゆとりがあるので)購買意欲も旺盛。
そこで先日のBlog でも書いたが、消費の拡大はスパイラルとしての収入拡大と因果関係があると思う。
そこでこんな考えはどうだろうか?
バブルの前(20数年前)はなぜ購買意欲がたかっかったのだろうか?
所有欲をくすぐる住宅・自動車・家電等々がまだ全てに普及していなかったから?
おじさんは違うと思う、(確かに70年初頭から始まった高度成長の終末期で毎年毎年所得は上がっていたが物価も同じように上がっていた)
それは『一億総中流意識』などと報道でも騒がれたが中間層の総量が圧倒的に多く少しの金持ちと少しの貧乏人の間に圧倒的に中流意識を持った層が多かった、。特におじさん世代もそうだが「ニューファミリー」などと呼ばれた団塊末期からちょいすぎの世代までが消費の圧倒的大部分を占めていたような気がする。
この層が日本の消費市場を牽引しそのために企業も景気が良くなり収入も増大しまた消費が拡大・・・
の繰り返し。
その後はバブル崩壊でひどい目にあうのだが。
結局バブル崩壊後20年位立つのに相変わらず景気が悪い、
その景気をてこ入れしようと始めた「純ちゃん」+「平蔵くん」の自由経済への組み換えで、
もてるものは寄り持ち
もてないものはより持てない
中抜きの消費層構造が見事に出来上がった、アメリカでも全体の20%の層が80%の富を所有し80%の貧困層が20%の富の配分で汲汲としている。
日本でも同様の構造になりつつある(もうなってきている?)と思う。
これを是正するには、中間消費層の比率を上げるのがいいと思うのだがどうだろうか?
方法としては累進課税の復活など以前の課税構造に戻すのが手っ取り早くていいのかなと。
また社会福祉を厚くして先行き不安をなくす。
これは大きな政府を目指す意味ではない、一例として「高負担・高福祉」を考える必要がある、政治家も耳障りのいいことばかりではなく消費税の増税も含めて税収としての総量で考える必要がある。
ものの例えとして良く言われるのだが、
ソ連の崩壊を持って80年近くの長期にわたる「社会主義・共産主義の壮大な実験は失敗に終わった」といわれているが一つだけ成功した国がある。
それは敗戦国日本!
官主導で
大蔵省による「護送船団方式」での企業保護
通産省による「ある種の計画経済と規制」での市場安定
労働省/厚生省の「手厚い社会福祉」による先行き不安の是正(一寸異論があるとは思うが)
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が行われていた時代があった、これを社会主義といわずしてなんというのだろうか?
その時代に戻れとは言わないが、せめて所得層の構造的組み換えと比率是正を考えてもらえれば日本はまた日の昇る国になるような気が・・・・
などを朦朧としながら。