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暇になってからなんだかんだで早半年。よーやく重い腰を上げて旅にでた。福岡での「生活」は十分やったし、金もそこそこ溜まった。兄が長崎方面に仕事で出るというのでこれ幸いと途中まで送ってもらう。
最初の目的地は佐世保。テレビで佐世保バーガーの特集をみて冗談で食いに行くか、といっていたのが本当になった。そんなもんだ。高橋駅、というところで兄と別れ列車の人となる。この高橋駅、素晴らしい寂れっぷりで当然無人。一時間に一本。「電車がまいります」の自動アナウンスがやたら五月蝿くてびっくり。近くにコンビニすらなかったので少しは栄えてそうな隣駅、武雄温泉前駅で朝飯を調達することにする。
ところがここにもなにもない。みどりの窓口のおねーさんに温泉街までいけばあるよ、と教えられる。しかも、その武雄温泉にある朱楼は国の重要文化財に指定されてるらしい。是非いかねば。風呂に入るにはまだ早いなぁと思い土産物屋を冷やかす。店員のおばちゃんと仲良くなり、温泉の由来や経歴をいろいろ教えてもらう。かなり由緒正しいものみたい。でも割愛。おばちゃんから、近くの黄福寺のことを聞く。なんと、運慶作の四天王像があるらしい。見料300円を払って御拝観。ぶっちゃけ煤けてる。でも閑静とした庭園を堪能できたから満足。汗もかいたのでまだ昼前だが武雄温泉に。300円。格がありそうなわりに安い。入ってみて納得。いい感じの大衆浴場だった。好。ぬる湯とあつ湯の二つがあって、とりあえずぬる湯に入ったがかなり熱い。隣に座ってたおっちゃんに熱すぎだろ!と突っ込んでみる。話してみるとおっちゃんも熊本人で、佐世保まで海自史料館を見にいくらしい。まさに渡りに船。海自史料館も面白そうなので一緒に連れてってと頼み込み成功。土産物屋でかりんとうまでかってもらってほくほく。
一時間ほどで佐世保につく。有料道路をためらいなく選択するところに中年の財力を見た。つつがなく海自史料館をみてまわり、仕官服での記念撮影まで済ます。パーフェクト。時間は昼をまわったころ。いよいよお目当ての佐世保バーガー。ラッキーなことに佐世保市内ハンバーガー屋マップが史料館にあったので、それをおっちゃんに見せて連れてって貰う。しかも、ここでまたおっちゃんブルジョワっぷりを発揮。奢ってくれるんですって!神を見た。遠慮会釈無しに一番デカくて高いスペシャルバーガージャイアント。それでも600円くらいだったから佐世保バーガーはほんとに安くてデカくて美味い!マックが佐世保から撤退したという噂にも納得。市街地まで送ってもらったあと、神と別れぶらり。アーケードがやたら長い。なんか日本一長いとか。2kmくらいあったんじゃなかろか。なのにネカフェが一件も無ぇ!初日から暗雲。佐世保駅のみどりの窓口のおねーさんに聞く。2件のみあるらしい。セーフ。とりあえず近いほうにいってみるが、○時間いくらのパックが無い。アウト?もう1件に望みを託しーセィフ!8時間2000円。ちょっち高いが背に腹は変えられぬ。が、現在18時半。始発前に追い出されちゃかなわんのでドトールで時間潰し。コーヒー1杯の限界を見た21時。ストリートミュージシャンでも探してアーケードうろうろ。こんな長いアーケードなのに全然いません・・・辛うじて1人発見。でも歌詞覚えてないらしくすっげぇグダグダ感。一緒になってうろ覚え合唱。カラオケより気持ちイィィ!テキトーに歌ってたら米国?の金髪ねーさんが5,6人通りがかって記念撮影してった。さすが佐世保?23時半。ネカフェに入る。これ書くのも飽きてくる。
やべ。ドラッグストアガールおもろい。寝れん。
真理、なんだろう。理屈抜きの説得力を感じる。それじゃあんまりなんで理屈を考えてみる。馬鹿。恐らく、日本人がとっさに思い付く最もシンプルな悪口。口喧嘩でこれが出た時は十中八九そいつの罵倒語彙は既に尽きている。しかも、馬鹿、とは大雑把で曖昧な形容だ。口喧嘩においては相手の欠点や失敗を的確に突かなければ効果的なダメージを与えられない。以上より、馬鹿を使用した時点で語彙の貧弱さと、洞察・表現力不足を露呈することになる。これはもう、馬鹿と言って問題ないだろう。スキップなんてここ数年してない事を思い出した。
午前五時、飲み会の帰り。一人暮し最後の光景。新しい携帯のテスト共に。僕は何を試せただろうか。
挨拶は偉大だ。
見ず知らずの他人という間柄において、
唯一相手に投げかけて良い言葉である。
他の言葉ではそうはいくまい。
いきなり昨日みたドラマの話などしようものなら、
相手の警戒レベルは一気に上昇することうけあいだ。
挨拶なら、相手は多少戸惑うかもしれないが、
概ね友好的な態度と見做されコンタクトが成立し得る。
そして、相手が挨拶を返してくれたならばその瞬間に、
二人の間柄は「見ず知らずの他人」から、
「知らない他人」程度にはランクアップする。
全くの他人と知り合いになるための鍵、それが挨拶だ。
嗚呼、素晴らしき哉、挨拶。
カネ、というものに関して考えることがある。
この世で最も欲されてるもののひとつ。
人はみんな違うのに、誰もが求める。不思議。
端的な力のイメージ、だからなのか。
欲するものを手にする手段として、有効なもの。
幅広い欲望に対処できて、その効果も高いもの。
でも、あくまでそれだけのものでしかないはず。
求めるものがあってこその手段なのだから、
諸人がこぞって金を欲するなんておかしいのに。
イメージだけが先行して、その実体が失われてる。
そんな気がしてならない。

実際に大金を手にしてみて、その無力さにがっくり…
ありそうなことだと思うんだけどなぁ。
差別というのは、自分の物差しを使うことなく、判断を下すこと。
大雑把だが、あながち間違ってないと思う。
久しぶりの更新。
昨日は22回目の誕生日だった。
誕生日といえば、ケーキとハッピーバースデイの歌。
お決まりの、誕生日おめでとう。
ずっと、このフレーズに違和感を感じていた。
年をとるということは、一歩死に近づくこと。
普通、死は回避したいものなのに、何故めでたいんだろう、と。
その疑問が最近、ようやく氷解した。
このおめでとうは、この日まで生き延びることができたことへの祝福だ。
年齢を重ねることができる幸運な人への、言葉なのだった。
目から鱗が落ちる思い、というのか。
年をとって死に近づくなんて、寿命を全うできること前提の、
それ自体が無意識の余裕からくる考えであることに気付いた。
日本は安全で、若くして命を落とすことは稀だ。
だから、年をとることができるのはあたりまえに思っていた。
しかし、それは恵まれた環境のおかげであるということを。
今、呼吸のできる幸運を。
噛み締めた。
僕の成分表示。きっとそんな感じ。
思うに、思い遣りとかいうのに欠けている。
突き詰めると、想像力の欠如、ということかな。

僕の他人にかける言葉の、きっと半分くらいは、
この場面ではこう言うべき、という知識から生じる。
哀しんでいる人を見かけたら慰めようとするし、
喜んでいる人を見かけたら言祝ごうとする。
でも、それは自分の抱く感情がそうさせるのではなくて、
こうするべきだ、という知識がそうさせているんだろう。
これは、思い遣りだとか優しさではなくって。
そう。社交辞令の一種のようなものだ。
他人の気持ちに同調できないから、感情からの行動がとれない。
この場合、人は○○に類型される感情を抱くだろう、
という予測はできても、どんな気持ちになるのか分かってない。
他人の気持ちにある程度判断は下せても、想像できない。


もう一つ追加。
それは、「ごめんなさい」。

基本的に僕は謝罪の言葉が嫌いだ。
卑怯だとすら思う。
謝るくらいならやらなければいいし、
やってしまったことを償いたいと思うのなら、
謝るでなく黙って相手の怒りのままの報復を、
じっと受け止めるべきではないだろうか。
謝罪という行為には、謝るから許してくれという思惑が見え透いてる。
罪を犯して、なおかつ被害者の怒りの気持ちを鈍らせるのは、卑怯だ。

…と、いう風に意地でも謝らなかった時期がある。
今は流石にそこまで頑なではないけれど。
それは、それでも表したい謝意があることに耐えられなくなったから。
卑怯者だろうがなんだろうが、謝りたい気持ちを伝えたい時がある。
だから、そういう時は二度とその罪を犯さないようにしようと思う。

もっと相応しい言葉ってないものかなぁ。
ごめんなさいって、御免なさいだから、
罪を免じて下さいということじゃなかろうか。最悪だ。
すみません、はなんか謝罪の言葉のように思えないし、
申し訳無い、が思いつく謝罪の言葉では一番マシかな。
申し開きはできない、という意味だと思う。多分。
今度から謝るときはこれでいくかなぁ。
色々あるけれど。
ぱっと思いつくのは「頑張れ」。

僕は頑張ることが嫌いだ。だからそれを強制するこの言葉が嫌い。
ようするにそれだけのことなのだけれど。
他の人に対して使うのも嫌いなのでちょっと考えてみる。
大体、「頑張れ」が相応しい場面なんてそうはないと思う。
頑張る必要があるけど頑張らない人に対して使うのが適切なのかな。
でも、そういう人は頑張るのが嫌なのだと思う。
恐らく、僕のように頑張る理由をもたない人だろう。
そんな人に「頑張れ」なんて、余計なお世話だろうし、
そうでない人は言われるまでもなく頑張っている。
そして、実際には適切でない場面で使われることが多い。
なにより、一番気に食わないのはこの言葉が世間的には、
かけて「あげる」言葉、良い言葉扱いされているところ。
だからか、自己満足からか義務感からか、無闇に使われ易い。
どんなにポジティブな言葉でも、命令形になってる以上は
それなりの警戒心をもって扱うべきだと思うのだ。

もちろん、本当に相手を思う心からでる、頑張れもあるだろう。
そういうのは汲み取ってしかるべきなんだけど。
やっぱり軽々しく使われすぎ。
他に適当な言葉が無いのも一因なんだろうなぁ…