こういった被災者根性は何も靴製造関係だけではなく、小売店や飲食店などにも及んでいた。

 

震災後に仮設市場の再開や店舗の新たなスタートなどは、時に復興の旗印であるかのようにテレビのニュースなどでも取り上げられていた。

 

「負けへんで、頑張るで」等と店主の熱い思いや情熱がテレビの画面を通じて発信されていたのをよく覚えている。東日本大震災の後にも似たような光景を数多く見かけた。

 

神戸の市場や商店は、そうしたニュースの直後には賑わっているようにも見えた。

しかしそれはニュースを見た地元の人や、復興を応援したい気持ちの人たちが来てくれて一時的に賑わっている様に見えているだけで、継続するものではなかった。

 

徐々に減る客に商店主などは、震災で周囲の人口が一時的に減っているだけで、周辺の人口が戻れば、再度店に活況が戻ると信じてやまなかった。

 

オリックスの優勝に自分たちを重ね合わせ、熱い思いで希望に満ちていたのをよく覚えている。

 

しかし残念ながら、熱い思いとは裏腹に業績が年々下がっていったところがほとんどで、特に前と同じ場所で、前と何ら変わらない商売をしている店ほどそうした傾向が強かった。

 

再開当初の熱い思いは空回りし、店が暇な状況に愚痴も増えて、被災者根性的な発言をする人も増えていくのであった。

 

震災・国・地方自治体・世の不景気などへの不満を口にして、またいつかいい時代が来ると信じている人も多く、そう言っていた人たちから淘汰縮小の波に飲み込まれていく傾向が強かった。

 

しかし、ここで実はこの時にほとんどの商店主が気付いていないだけの事実がある。

 

実は神戸市長田区の住民数は震災から10年以内に回復しており、さらにこの新長田周辺だけで言うと10年以内に住民数は震災前より増加しているのだ。

 

住民が増えているにも関わらず、商店街に人が戻らず売り上げが上がらない、行政や震災復興目的に設立された第3セクターなども「こんなはずじゃなかった」となっていた。

 

住民数は増えても売り上げが戻らない、実はこの理由は震災だけではなく、全国に増えるシャッター商店街にも共通する産業構造の変化と、震災後の都市計画等により街の形態の変化がこの状況を生んでしまったのだ。

 

その関係者のほとんどが「こんなはずじゃなかった」と思っていた。

 

「第9回<バラ色な未来なハズ?の第3セクター>」に続く・・・