神戸市長田地区には阪神大震災前にはケミカルシューズに関する大小あらゆる業種がひしめき合っていた。

 

その周辺の住宅街の主婦は主にケミカルシューズ製造での仕事の一部を家庭で子育てしながら内職しているケースが多く、街の至る所で靴工場の求人募集の張り紙を見かけた。

 

靴も車や電気製品などの機械製品ほどではないが、たくさんの下請けと関係業種で分業制が成り立っていた。

 

単純にそのころに長田の町では靴関係の業種は靴のメーカーだけではなく、革販売業・ヒールなどの踵(かかと)部分の製造業・紐やアクセサリー部分の製造業・ネーム製造業・型抜業・金型製造業・縫製業・靴箱製造業・倉庫業・値札付け・問屋・デザイナー業等が存在していた。

 

そういった靴に関するありとあらゆる業種が所狭しと軒を並べており、まさしくケミカルシューズ村とも呼べる状況だった。

 

近年ではトヨタがタイの大洪水や熊本の地震で一部の部品供給が停止すると、工場の操業停止に至るニュースが報道されていたが、実は靴の製造も同じであり、これらの業種間の連携が全てスムーズに流れて完成納品にまで至るのだ。

 

こうして複数業種の分業により成り立っていた永田地区の製造業は、その製品を靴メーカーが問屋や大手流通業に販売し、長田の町の経済を形成していた。

 

その経済を一時的に停止させてしまったのが阪神淡路大震災である。

 

靴の製造は複数の下請けで成り立つ分業制である。

 

仮に靴メーカーの工場が震災の被害が少なく、比較的早期に操業可能な状態でなっても、下請けの工場が倒壊したり焼失したりしてしまい、下請けのうち、ほんの一部でも製造過程に滞りがあると製造が停止に追い込まれてしまう。

 

運送業も集配を停止している状況では材料も入ってこないし、完成しても出荷できないなど、表現は不適切ではないかもしれないが街の心肺停止状態に陥っていたのである。

 

人間における血液ともいうべき作業や物の流れが止まってしまい、街の鼓動は一時的に停止してしまったと言うことができた。

 

全ての業種が復旧し、街の鼓動が戻るまでには数か月を必要とした企業もあり、実は数か月間に長田の街と靴の製造業界には不幸なタイミングが重なったのである。

 

「第5回<供給ストップがもたらした変化>」に続く・・・