どもーーーー。
今日は土曜なんですが、東京から某身内が、実家の某身内の見舞いにやってまいりまして、50キロ離れた空港に彼を迎えに行き、そのあと、ラーメン屋を2軒ハシゴしましたw。
それから彼を地元のホテルに送り、一時間の仮眠のあと、また身内の晩餐会に突入。
ようやくさっき帰ってきました。
で、そんなこととは全く関係ないんですが、みなさんは、旧ユーゴスラビアから独立したクロアチアという国をご存知でしょうか?
サッカーが盛んな国なので、知ってる人も多いかと思います。
クロアチアの選手は、ヨーロッパのクラブチームにも、多数所属してるんじゃなかったっけ(うろおぼえ)?
上の地図の黄色いとこがクロアチアです(左下のオレンジ色の土地はイタリア)。
第2次大戦終結後は、これまたクロアチア出身のチトー大統領がこの当り一帯をひとつの国にまとめてましたが、彼が死に、そして東西冷戦終結した90年代、タガがはずれ、とんでもない戦争になったことは、まだ記憶に新しいことと思います。
前置きが長くなりましたが、今日のお話は、その民族紛争のひとつのルーツとも言える、クロアチアのある集団について。
<Think globally>
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第一次大戦後、ユーゴは、戦争に敗れたオーストリア=ハンガリー2重帝国から独立し、王制をとっていましたが、「3つの宗教、5つの民族」といわれたこの地区は、常に紛争の種をかかえていました。
3つの宗教とは、キリスト教(カトリック)、セルビア正教(キリスト教の一派、ロシア正教に近い)、イスラム教です。
問題のクロアチアは、カトリックが多数派でしたが、地域内には多くのセルビア人(セルビア正教徒またはイスラム教徒)がいました。
そして、第二次大戦が始まると、ユーゴは、ナチスドイツに占領されます。
そのとき、ナチスに協力を申し出て、クロアチアの独立を承認させたのが、パヴェリッチという人。
そして、彼が作ったいわばクロアチア版親衛隊とも言える組織(民兵)がウスタシャです。
ふー、やっとここまできましたか。
で、ウスタシャの何が凄いかって言うと、ナチスに習って、宿敵であるセルビア人やユダヤ人、ジプシー、そして反体制クロアチア人を片っ端からこれまたナチス式の強制収容所にぶち込んだこと。
特に、セルビア人に対しては容赦なく、片っ端から捕らえては処刑したといわれ、その総数は70万人とも100万人とも言われます。
ナチスが殺害したユダヤ人の数が600万人とされていますが、それが正しいとすると、ナチスの6分の1に匹敵する虐殺を、おそらくはドイツの人口の10分の1くらいだったとおもわれるクロアチアがやったことになります。
(ちなみに当時のクロアチアの人口が約600万人、ナチスドイツの人口は1939年で約6千9百万人)
そして、その処刑の際には、正当化するために、カトリックの司祭を立ち会わせたとされることもさることながら、ボクが以前読んだ、「歴史読本」かなんかの記事だと、処刑にはギロチンをもちいることが多く、片っ端からセルビア人の首を切りまくったので、たまたま立ち会った、「本家」ナチス親衛隊の将校も、ビビッて止めに入ったことがあるとか(((゜д゜;)))
でも、ギロチンの話はネットでは確認できませんでした。
ナチス親衛隊の話も、ウィキペディアによれば、
「こうしたウスタシャの行動は彼らを支援し同じく残虐行為を専門としたナチスの保安警察及び保安諜報部の特別行動部隊でさえ「衝撃的」であり、「セルビア人迫害の先鋭化が近い将来クロアチアを抑制の効かない不穏地域になるおそれがある」(ドイツ外務省情報局、1941年7月2日)と本国に報告される程であった」
とのことで、親衛隊(SS)そのものではなかったとされていますが、保安警察(SD)とか、保安諜報部の特別行動部隊(アインザッツグルッペン)ってのは、ゲシュタポ(国家秘密警察)の別働隊で、ゲシュタポとSSは親戚みたいなもんなんで、あながち間違いではないかと。
そして、90年代、今度はセルビア人によるボスニアヘルツェゴビナのイスラム教徒や、クロアチア人に対する「民族浄化」が行われ、報復の嵐が吹き荒れるわけです。
ちなみに、このときは、セルビアに宗教的に近いロシアが味方し、ボスニアのイスラム教徒(これも同じセルビア人が主と思われる)には、普段イスラムを毛嫌いしているNATOなどの西側諸国が味方して、セルビアを空爆しました。
話が逆戻りしますが、ボスニアのイスラム教徒は、チトー率いる共産パルチザンと対立していたので、ナチス親衛隊(武装親衛隊=親衛隊管轄の軍隊)に参加していたのも、知る人ぞ知る話です。
っていうか、土曜の夜に何書いてるんだ、オレ。
とりあえず、カトリックがらみはヤバいってことで。
エーメン(。-人-。)