遅くなりましたが、前回のブログの続きです。

 

会社の一社員として、任された仕事は全てやってきました。

それがどんなに気の乗らない仕事でも、やりたくない部署の仕事でも。

でも、それって、現場の人たち(フリーランスで働く人たち)にとったら、

まあまあ舐め腐った行動っていうか、所詮お前は会社の人間なんだろって感じですよね。

助監督はほぼフリーランスの人で、私が現場毎で上司に付く人もそうです。

当然私に仕事を教えても、今後自分の部下として引っ張ることはできない。会社の社員だから。

だから、教えるだけ無駄。当たり前です。個人事業主なんだから、雇用主から与えられる報酬に見合った分の仕事だけしたいと思うはず。

そんな壁を抱えながらの仕事は、仕事本来のハードさに加えて、人間関係のストレスも重なり、心も体もボロボロになりました。

フリーランスの人は私が会社の人間だと知ると、君の会社はどうなってるんだ、おかしいぞ、と、言ってきます。

そりゃ、私が会社の下っ端で、一番言いやすい立場だし、制作会社への愚痴なんて、フリーの人たちには腐るほどあるでしょう。

でも、現場のスケジュールとか、予算とか、そんなの私には分からないことだし。お金を動かしているのは私よりもっと上の人間なのにね。

言いやすい人間に言いたくなるのは仕方ないことだけど、その不満を私に言って現場が変わるわけではないんですよ。

私は体のいいサンドバック状態でした。この世界の大人って皆こうなのかなって、もはや人間不信でした。

そう思った時、ここにいるメリットって私には何一つないってことに気づきました。

多分、映像業界自体に嫌気がさしてしまったんだと思います。子供の頃、あんなにも夢見ていた世界は残酷にも非情でした。

 

エンタメは、芸術の前にビジネス。よりよい作品を作る前に、いかに資金が募れる作品にするかが重要。

そして、その資金でいかにスタッフを少なく低予算で作成できるか、赤字にできるかが大事。

 

勿論、辛いことばかりではありませんでした。

沢山の人と出会えて、手を差し伸べてくれる人も尊敬できる人もできました。

かけがえのない時間が過ごせたと思います。でも、たぶん、もう戻れない世界だなと同時に思います。

 

ありがとう。一生忘れられない仕事ができて楽しかった。

 

これからのことは、また、どこかで。

 

お久しぶりです。

実は、6月末で2年半勤めた会社を退社しました。
それにはまぁ話せば色んな理由があるんですが
私自身少し自分のこれからの事をしっかり考えたいなと思ったことがきっかけでした。

思えば、映画監督になりたいと小学生の時に夢抱き、
そこからただひたすらにそれを目指して生きてきました。高校では演劇部に入り、自分の書いた脚本を上演したり、映像の専門学校に入り、そこで監督ではなく脚本家になりたいという新しい目標を持ち、何かしらの足掛かりになればと、制作会社に入社しました。

盲目だったんだと思います。
それしか見えてなかったというか、それしか私にはないと勝手に暗示をかけてたのかも知れない。

正直、会社に入ったのは母親の強い意向というのもある。私は正社員に強いこだわりはなかったし、バイトでもなんでもして脚本家の夢を追いかけようと思えばできたはずだし。
私がひよったのだ。母親が言ったからとか色々言い訳をつけて人とか環境のせいにして逃げたんだ。

そこからダラダラと2年半会社に勤めて
なんとなく助監督やったり、APもどきをやったり
全てがなんとなくで、口では一丁前のことを言うけど中途半端だったと思います。

続く→

 

新学期いかがお過ごしでしょうか?

そこかしこでワクワクとソワソワが飛び交って落ち着かない季節です。

そう、私の大好きな春になりました。

 

私はというと、3月に連ドラ撮影が終わり、ちょこっとお休みをいただいていました。

気晴らしに小旅行でも行こうかしらと思っていたけれど、思えば世間は卒業シーズンであっけなく断念。

撮影で知り合った衣裳部のお姉さんとご飯に行ったり、現場で繋がった同年代の人と外で交流するのがとっても楽しかった。

私ぐらいの歳だと、大体どの部署でもみんな助手さんをやっていて、境遇も志も不安も愚痴も一通り共有できる。

現場は仕事場だから、あまり馴れ馴れしくはしないけれど、終わった後もこうして交流できる関係ってすごく貴重だし、大切。

次また一緒に仕事できるといいね。次までにはお互い少しでも成長してようね。って健闘を讃えあうのが常套句。

出会い別れを繰り返すのが、この業界の常だから。

 

そういえば、この前の現場に奄美大島出身の女の子がいたのです。

確かに第一印象とか服の感じとか、同世代なのに一線を画すなと思っていたのだけれど、そんな隠し玉を持っていたとは!

今度是非遊びに来てねと言われたので、勝手に『奄美大島 観光』を調べてしまった私。

本当に綺麗な所なんですね。こんな場所で育てられたら悩みなんてなくなるんだろうなと思わせる説得力。

いつか行きたいな。お金と時間がたっぷりできたら、会いにいきます。

 

あっという間の心の休暇時間が過ぎて、4月から心機一転、私も新しい事にチャレンジしました。

今はその結果待ちといったところで、ソワソワとワクワクを私も周りにまき散らしています。

それとは別に次に入る組が決まりました。6月撮影です。忙しくなるぞ……。

奄美大島の画像と、地元で撮った桜の写真をお供に頑張ります。

1月から撮影していたドラマがやっとこさクランクアップを迎えました。

 

長い長い戦いに思えて案外あっという間だったけど、なかなかにハートブレイクな現場だったな。

一歩一歩成長しようと頑張っているけれども、ずっと同じ場所で足踏みをしている気分。

周りは私を「頑張ってるよ」「確実に成長してるよ」と言ってくれる。

いじわるな私が心の中で「本当はそんな事思ってないくせに〜」といじけている。いじけ虫は昔からだ。

 

心からやりきったと思える作品に出会いたい。

この作品を作ってよかったと胸を張れる作品を作りたい。

 

結局私がこの仕事で得たいものってシンプルにこうゆうことなんだなって思う。

この仕事を初めて2年が経ち、己の欲だけを考えていた頃の自分にも変化があった。

 

そういえば、去年と同様に、今年も現場で誕生日を迎えた。

22歳だって。信じられないね。

小学生の頃の未来予想図だと私は既に結婚しているらしいが、

今のところその予定はないし、現実の私は怖いおじさんに怒られ、寝ずに現場を駆け回る日々を送っている。

未来とは分からないものだ。

今年は日付が変わる0時ピッタリに、素敵な仲間たちにお祝いをしてもらった。

場所は制作備品を乗せる制作部のハイエースの中。

ケーキはセブンイレブン。

なかなかにトリッキーな誕生日会だったけど、多分一生忘れないだろうなって思う。

思いだす度に私を支えてくれるもの。心のつっかえ棒になる記憶。そうゆうもの。

高いブランド品をもらったわけでもないし、盛大なサプライズだったわけでもないけど、

でも、幸せをくれたんだ。最高のプレゼント。

 

ありがとう。22歳も頑張ります。

とりあえず、60日分の睡眠を取り戻します。おやすみなさい。

「撮影があるから!」と、半ば家出同然で実家を飛び出し、東京にやってきた私。

当然、お金もない、時間もない中で、私が床を据えたのが、そう、シェアハウス。

生活に必要な最低限度の家具が揃い(もちろん共同だけど)、何よりも破格に家賃が安い。

女性専用のシェアハウスだから、安全だし、怖がりな私にとって帰ってくる家に人がいるって実家みたいで落ち着く。

 

ってなぐあいに、シェアハウスに住み始めて、2年が経った。

愛着が湧いてきたシェアハウスもさすがに狭すぎて、引っ越しを考えている。

コロナになって家にいる時間も増えて、家の住み易さが大事だと身にしみたのも理由。

 

さて、どこに引っ越そうか。

悩んだ末、自分なりに、会社や仕事のことを考え、2つの路線に的を絞った。

 

京王線か、小田急線。

 

……うーん。どっちも魅力的なんだよな。利点と汚点が天秤でどっこいどっこい。

 

そこで、実家に帰った年始、母と父に相談してみた。

若かりし頃、東京で役者をしていた2人は、当時の甘酸っぱくも苦い東京の思い出話をつらつら交えながら、

住むのにオススメの地域を教えてくれた。

 

母「豪徳寺」父「笹塚」  おいおい、京王線と小田急線の戦いはまだ終わらないのか!

 

頭を抱えた私に、母が笑いながら言った。

 

母「結局、最後にどこに向かいたいかじゃない?」

私「最後って?」

母「自分が死ぬ前に見ていたい景色がある場所。今は遠くても、それが少しでも繋がってる場所」

 

私は、さっぱり意味が分からず、首を傾げた。

 

母「私は、絶対に海のある街で最後は過ごしたい。今は無理だけどね。一番下の子(妹)を立派に育てたら、

  海の近くで住むの。それが夢。だから、小田急線って夢に繋がってるでしょ。海に向かって走ってるんだから」

 

私は何それ、と笑いながら、ひっそり考えてみた。

 

海に向かうか、山に向かうか。

 

よし、決めた。私は海に向かおう。

 

母の変わった助言で、私のお家探し序章が終了した。

 

2章は5月以降より、乞うご期待!