朝鮮人民軍板門店代表部、米韓合同軍事演習中止を要求、対米核戦争能力保有、米本土攻撃も可と公開書簡 | 朝鮮問題深掘りすると?

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初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

朝鮮人民軍板門店代表部が7日、アメリカと韓国当局に送る公開書簡を公表しました。


読売新聞は、「北朝鮮の朝鮮中央通信によると、朝鮮人民軍板門店代表部は7日、米韓が今月16~26日に予定している合同軍事演習「乙支(ウルチ)フリーダム・ガーディアン」の中止を求める書簡を発表した。
 演習を中止することで、〈1〉朝鮮半島の非核化意志を示す〈2〉朝鮮半島の休戦体制を(平和協定を含む)平和体制に転換する〈3〉米朝、南北関係正常化の意思を公式表明する――よう求めている。

 書簡は、米韓演習について、「(北朝鮮を侵略する)北侵戦争の延長」と非難。「核戦争を強要するなら、核で対応する準備ができている」などと強調した(【ソウル=仲川高志】2011年8月8日22時22分)」と伝えています。


ところでこの報道、肝心なことを伝えていません。言わんとすることを正確に伝えていません。そこで公開書簡の内容を正確にお伝えする必要があると思われます。


書簡は、平和は朝鮮の軍と人民の強烈な志向であり、変わらぬ要求であるが、朝鮮半島はつねに戦争が勃発しかねない一触即発の戦争状態へ傾いており、それは言動が一致しないアメリカの対朝鮮敵視政策と、それに盲従している韓国当局の反共和国敵対政策の結果であり、それに乗っかった軍部好戦勢力の北進戦争狂気の直接的産物であると明確に規定しています。


そして「乙支フォーカス・レンズ」軍事演習はその延長であり、わけても米韓軍部好戦勢力が新たに修正補充した北進戦争の脚本に従って行われる危険千万な戦争行為であり、全面的核戦争演習であるばかりか、その実施時期を見ると『天安艦』沈没事件や延坪島砲撃戦を経て朝鮮の軍と人民の憤激と報復の一念が天を突く勢いにあることを知りつつ強行しようとする戦争騒動だと、演習の性格について指摘しています。


そのうえで読売新聞が紹介した3項目について要求したわけです。しかし読売の報道ではこの3項目の具体的内容など分かりません。そこでそれに関する公開書簡の内容を見てみます。


書簡によると〈1〉は演習中止の『政策的決断』を下すことによって、朝鮮半島非核化に対するアメリカの意思を示せと言うことです。


そこでは次のように主張しています。「朝鮮半島の非核化は決してどちらか一方の非核化ではない。そこには朝鮮に対する核攻撃の脅威、威嚇の除去まで含まれる包括的で公正な非核化である。にもかかわらず、一方が超大型核航空母艦集団と戦略的核打撃飛行体まで動員して、他方を恐喝する戦争挑発行為を強行すること自体が、非核化に関する同時行動の原則を投げ捨てることを意味する。仮に相手が核戦争を強要するのであれば、わが方も核で対応する準備が出来ていることをそのまま公開する。」


〈2〉では戦争演習を中止することで、現在の停戦体制を平和体制に転換するための実践的勇断を下せと言うことです。


つまり、言葉だけではなく、具体的な行動を持って意思表示をせよと言うことです。そして「平和と対話の戯言の裏で刀を研ぎ戦争を準備するという質の低い二重人格を装うことほどの政治的破廉恥さはない。『乙支フリーダム・ガーディアン』のような演習が繰り返されるほど、不信と対決の悪循環は続き、それがついには戦争に繋がるのは必至だ。朝鮮半島で戦争が起きた場合、米国本土が無事だと思うことほどの誤算はないだろう。…戦争を臨まないのであれば最小限、今年の米韓合同軍事演習を中止することで、大国としての実践的意思を見せるべきだ。」


〈3〉では、韓国当局は演習を中止することで朝米、南北関係を正常化しようとする意思を公式に表明すべきだと主張しています。


具体的内容を見るとまず、関係正常化は敵対行為の中止から始まるとし、今日は平和と和解を云々し、明日は戦争演習を行うのは両面戦術の極地であるという指摘から始まります。


ついで「あけすけに言って、朝米関係、北南関係改善問題について論じるならば、アメリカと韓国当局が切実なのであって、わが方にとって危急な問題など何もない。われわれはこれまでもアメリカや韓国当局との関係正常化がなくても生きてきたのであり、今後も強盛するであろう。わが方との関係正常化を実現しようとするのであれば、核戦争演習から中止することを公式に表明すべきである」


書簡は最後にアメリカと韓国当局が「対話と対決、平和と戦争の岐路」で「分別を持って行動すべきであり、深思熟考し、賢明な出路を選択すべきだ」とし、この要求に肯定的に応えることを期待していると書簡を閉めています。


人民軍当局の公開書簡としては、強い語調は使わず、冷静な文書になっていることが判ります。これまであまり見られなかったものです。自信と、余裕の現れなのでしょう。


ところで、「核戦争を強要するのであれば、わが方も核で対応する準備が出来ていることをそのまま公開する」とか、「戦争が起きた場合、米国本土が無事だと思うことほどの誤算はない」、「朝鮮半島の非核化は決してどちらか一方の非核化ではない。」「朝鮮に対する核攻撃の脅威、威嚇の除去まで含まれる包括的で公正な非核化である」という指摘は、日本のマスメディアではいつも抜け落ちている文言です。


とくに後半の二つの文言がそうです。そのため多くの人が、問題の責任を朝鮮にだけ押しつけ、アメリカや韓国そして日本の責任はまったく無視しているというのが現実です。


しかしそうした無責任な考えが、結局朝鮮が「核戦争を強要するのであれば、わが方も核で対応する準備が出来ていることをそのまま公開する」、「戦争が起きた場合、米国本土が無事だと思うことほどの誤算はない」と、自信を持って公然と言える事態をもたらしたことを忘れるべきではないでしょう。


こうした点から、今回の書簡はアメリカが、いわゆる「戦略的忍耐」に基づいたあらゆる対朝鮮政策が失敗したことを認め、潔く政策を変更すべきであり、先の朝米対談を受けて、すでに朝鮮は「大きいな対話」に移る準備が出来ていることを知らせるものであって、アメリカに政策変更に移行するチャンスを与えていると言っても良さそうです。まさに余裕でしょう。