息を吹き返す国家保安法 | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

韓国からの報道によるとソウル中央地検公安1部は24日、祖国統一汎民族連合(汎民連)南側本部のイ・ギュジェ議長とイ、ギョンウォン事務処長、チェ・ウニ宣伝委員長ら3人を「特殊潜入、会合・通信」などの国家保安法違反容疑で逮捕した。汎民連とは6.15南北共同宣言を受けてその実現のために民族の力を結集しようと南北および海外在住者を網羅して結成された組織。北側本部、南側本部、海外本部で構成される。
検察は彼らが機関紙「民族の進路」などを通じて、「核実験問題などに関する北朝鮮の立場を擁護し、チュチェ思想・先軍政治を美化するなど北側の主義主張に同調する利敵表現物を制作、配布、所持した容疑」を上げている。
逮捕された3人は、実はすでに7日に「国家保安法」3~10条違反容疑で逮捕され、三度に渡る拘束期間延長を経て、25日に拘束満期を迎えることになっていたが、満期前日に再起訴されたわけだ。検察は国家情報院(国情院、元KCIA=韓国中央情報部、前国家安全企画部)、警察庁と共同で長い間内偵を続け去る2月から本格的捜査に入ったとしながら、「汎民連南側本部核心幹部」80余人と、その他「利敵団体」についても捜査を行っているとしている。


この事件と関連して韓国の「民主社会のための弁護士の集い(民弁)」は、逮捕された彼らは2004年から数次に渡って北側関係者らと会っているが、南北交流協力法に従って所定の入北、交流承認手続きを済まし、北朝鮮の民間交流関係者と会ってきたし、国情院など関係当局もまたイーメールの押収捜査、公開されている汎民連ホームページなどによって十分に認知していたものであり、特別な犯罪事実はない」と指摘、国家保安法を恣意的に起用した意図的な弾圧であると指摘した。
また60余の団体が加盟している「汎民連弾圧対応市民社会共同対策委員会(共対委)」は24日、記者会見で「大統領とハンナラ党を救い出すために、合法的な民間統一運動を不法化し大々的なスパイ事件にしたてあげようとしている」と非難した。


実際、6月臨時国会で李明博政権はいわゆる「左派摘発」のための「国情院査察法」、デモや集会でマスクを使い正体を隠すことを禁じた「マスク禁止法」、「携帯電話盗聴法」、朝鮮、中央、東亜など三大新聞財閥によるTVメディアなどメディア独占を通じた言論統制を狙った「言論改悪法」、非正規労働者の労組結成や賃金交渉などを違法とする「非正規職改悪法」、「通信秘密改悪法」などの「公安悪法」の成立をたくらんでいる。


だが、野党の反発によって国会が空転を続け、与党のハンナラ党は単独召集―強行採決を企てており、そのため、民主党の議員14人が国会本会議場前のホールで無期限篭城に突入している。韓国では「第2次立法戦争」の序幕があがったとも言われている。

国会事務局はすでに国会議事堂の1階から6階までの各常任委員会の会議室はむろん、面会室廊下など隅々まで監視することが出来るように、総額4億1千600万ウォンを投入し84台のCCTVを設置し、状況室(モニター室)まで作り上げている。国会強行のために野党の動向を逐一探ることを狙ってのことだ。CCTV設置と同時に野党議員による本会議場の選挙・封鎖に備え、本会議場の出入り口の錠を電気錠に代え、遠隔操作できるようにまでしている。このように徹底した準備が進められている渦中での国家保安法による汎民連弾だ。いかにも強行単独国会開催-強行採決のためのスケープゴートにしようというのではないかと思われている。


事実2000年以後、活発に行われた南北間の民間協力事業全体を「公安」問題として見るとなると、南北交流協力事業の南側のあらゆる当事者が潜在的「国家保安法被疑者」となる。そしてその南北交流に携わった政治家らはほとんどが民主党所属か関係者なのだ。


キム・デジュン-ノ・ムヒョン両政権下で韓国の民主化はかなり進んだが、実はもっとも肝心なことが未解決のままであった。国家保安法を破棄できなかったことだ。軍事独裁の全期間、金泳三独裁政権下で民主主義を圧殺し続けた最大の「武器」が、まさに「国家保安法」であったことは韓国では広範に認められていたが、にも拘らずついに破棄されることはなかった。破棄までは行かなくても最低限、毒素条項をなくすなどの改正は実現されるべきだったが、右翼勢力の反対を強行突破できなかったのだ。それはまさに後漢を残すものだったが、李明博政権が四面楚歌に陥るや再び国家保安法の刃を研ぎ始めているのだ。


李明博政権はいま、ノ前大統領の死後辞職した検察庁長官の後釜に「公安事件」専門に生きてきたチョン・ソングァンを座えようとしている。彼は民主政権下でも1998年、2001年、2008年と大規模公安事件を捏造した経歴を持つ。先行きが心配である。韓国政治史を見るといかに不完全であっても、民主主義といわれるものが存在したのは1960年の李承晩政権崩壊後、1961年の朴正熙軍事ファシストらによるクーデターまでの許政過渡政府と張免政権の1年にもならない期間とキム・デジュン-ノ・ムヒョン政権の10年であった。そして今李明博政権は再び独裁政権の道を歩み始めている。「国家保安法」がまさに息を吹き返し始めたのだ。はたして韓国は独裁の暗黒の時代に戻ろうとしているのか。