老人の朝は早かった。陽が昇る前に目を覚まし、畑で食材を調達すると、朝食の支度をする。
時間の概念が崩れた今の世で、村内は長年の癖なのか規則正しい生活を送るのが常のようだった。
街の住民は昼間に出歩くことはまず無い。
昼夜が逆になったかのような生活リズムが当たり前になっていた。
しかし、警備員や潤伍のようなポストマンは、夜のみの移動というのは真夏のみ。休憩所もそれに合わせて営業していた。
大概の休憩所では店を開いている。ここも例外ではなかった。
乾物等が主で、あとは薬草を乾燥させた医薬品とアルコール類である。
潤伍は芳ばしい香りに誘われて目を覚ました。
一瞬、夏が朝食の用意をしてくれたような錯覚を起こした。
その後の現実に、軽く落胆する。
潤伍にとってはもう慣れてしまった心の修正作業だ。
「早いな」
階下に降りた潤伍に、村内は背を向けたまま挨拶ともとれる言葉をかけた。
「すまんが、卵を取って来てくれんか。庭に小屋がある」
潤伍は言われるがまま庭に出て、うん、と背伸びをした。朝靄の中、澄んだ空気を肺に送り込む。
庭の隅に建てられた小屋には、10羽程の鶏が細かく鳴いている。
腰までしかない高さの扉をくぐり、6個の卵を抱えて再び外に出ようとすると、元気な声が飛び込んでくる。
「おじちゃん、おはよう!」
「おはよう」
少年に昨日の暗さはなく、潤伍の杞憂も晴れた。無理してるのかとも思えたが、大地の性格かもしれなかった。潤伍にはまだ計り知れない。
回収した卵を大地と共に届けに行く。
卵は貴重でなかなか手に入らない。久しぶりのマトモな朝食に、潤伍も気分が高揚した。
朝食の後、潤伍は見廻りついでに近くの書店へと脚を伸ばした。というのも、大地の勉強に使う学習ドリルを老人に頼まれたからだった。街では学校もあるが、大地が通える距離にはない。
同年代との交流の無さも村内の心配の1つであろう。
潤伍はドリルと共に、数冊の自動文学書も手に入れ、書店を後にする。
休憩所に帰ると客が来ていた。
その5人の顔を潤伍は見知っていた。
埼玉~群馬間の物資運搬専門の警備員達だった。
「小幡!」
大声で潤伍を呼んだのは、群馬の榛名湖流通担当の隊長である藤田正人だ。
「こんな所で会うとはな!おい、羽鳥に聞いたぞ」
分厚い手で両肩をバシバシと叩かれる。
~痛い。
武甲~榛名間を移動する藤田はなぜか潤伍を気に入っており、自分の隊に勧誘していた。
「お前、俺に断り無く何で郵便屋なんぞになってんだよ」
「…探し物が出来てしまって」
潤伍はこの人の強引さが苦手ではあったが、嫌いにはなれなかった。
「それも聞いたよ。一言相談でもしてくれれば探しモンも手伝ったのによ」
「個人的な探し物ですから…」
「ったく!水臭ぇヤツだな」
藤田は文句を言いつつも、白い歯を見せながら潤伍を小突いていた。
「藤田さん、ハギのおじちゃんのこと知ってるの?」
「おう、知ってるが、おじちゃんは可哀想だな。俺より10は若いぞ」
「そっか…じゃあ、ハギの兄ちゃんだね」
潤伍は少しホッとした。
藤田達は2時間の休憩の後に出発するという。村内は藤田らが運んできた物資の整理。大地は潤伍の持ってきたドリルで早速勉強。男達だけが居間に残される形となり、それぞれが好きな格好で休息をとっている。
潤伍は藤田とダイニングテーブルに座す。
「そうか、お前も頼まれたのか」
「藤田さんも?」
「あぁ、なかなか必死で声をかけられてなぁ…子供は嫌いじゃないが、大地自身が望んでのことじゃないような気がしてな」
「大地は自分が邪魔な存在なのではと思っているようで…なだめるのも必死ですよ」
その時、ハギが膝に乗ってきた。
~珍しいな…何か欲しいのか?
その様子はなく、何度か廻ってそのまま膝の上で丸まった。
「お!ヤキモチか?可愛いヤツだなぁ」
~そうなのか…?
潤伍にも分かりかねる行動だった。
結局、村内の真意を知ることは出来なかった。
「榛名に来たら声をかけろよ!」
そう言って藤田達は旅だって行った。
見送った後、曇り空の元で畑仕事を手伝う。
「お前さん…結婚は?」
「…いや…」
老人はまだ言葉を必要としているようだった。
「…1人、するんだろうなって人は居た」
「あれでか?」
「いや、それ以前に事故で…」
少し陽が出てきたので、休憩がてら話をする機会が出来た。
「なぜ大地を旅に出したいんです?」
老人は所々で陽の当たる緑を眺めながら呟く。
「…ここを見ろ。何もない…大地にはいろんな経験をしてもらいたいんだ。外の世界を知ってもらいたい…それだけだ」
「経験はいいが、危険が伴う。多分ここよりも」
「…それでもだ」
頑なだ。潤伍は結局老人の真意が掴めぬままだった。
1週間後、例の2人組はおろか、賊の襲撃も無いまま旅立つ朝が来た。
「兄ちゃん、また寄ってね!」
老人と2人、大地も寂しい思いをしているのだろうと想うと、村内の杞憂もまた納得がいく。
「1周するまでに考えといてくれ」
「俺は寄り道をするから、1~2ヶ月じや済まないですよ」
「構わない。帰りに寄ってもらいたい」
「また来てね~!ハギ!兄ちゃん!」
潤伍は複雑な想いでペダルを踏み込んだ。