バック・トゥー・ザ・フューチャーという映画が好きで何回も見た。
 この主人公がいわゆる「切れる」言葉がある。「チキン」という言葉だ。葉隠の風土で育った私にも、強く反応してしまう言葉がある。

 「卑怯」「情けない」

 「武士道とは、死ぬこととみつけたり」という言葉は、戦前にこれが歪んで利用されたことから、無暗に使わないように心がけている言葉だ。

  「男ならば」「武士ならば」という「ならば」の縛りも古く拘束されるべきものではないと理性的に理解している。

 あれは小学二年生の頃だっただろうか。大きな六年生に虐められて家に帰ってきた。祖母は、「大きかろうが、歳が上だろうが、負けて泣いて帰るとは卑怯者」という意味の言葉を私に告げた。武神のような形相で、竿だけで学校まで追いかけられたような記憶がある。

 「もう一度、挑んで来い。」
勝つはずのない戦いだった。六年生で最も体の大きな者と二年生のおちびでは、最初から勝負にならない。

 あれから空手や柔道、剣道、それにキックボクシングと大きな者でも勝つための技術を身につけた。

 その後、母は私に膨大な数の本を与えた。
 暴力の弱さ 自分を抑えることができないことの愚かさ
力に頼ることの不合理

 それらを自然に気づかせる本が選ばれていた。
あれから45年も年月が過ぎた。

 暴力を憎み平和を創造するための挑戦を今も続けている。
 

 しかし、50を過ぎたのに小さな頃からの身体の反応を修正できるまでに至っていない。

 「卑怯」「情けない」
という言葉に身体が即座に反応する悪い習性は、心理学科の時に気づいた。だから、貯めもつくれるように訓練もした。

 それでもまだ要注意だ。
昨日も「ひびの」というSNSで「情けない」という言葉に反応してしまった。票を入れてきたと言う言葉にも何故かカチンときた。

 感謝と自制を首座におけば、なんでもない言葉だった。

「いま大切にしたいのは四無量心かなぁ、と思う。」という友人の言葉を思い出した。

四無量心とは、他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つこと。

慈 「慈しみ」、相手の幸福を望む心。

悲 「憐れみ」、苦しみを除いてあげたいと思う心。

喜 「随喜」、相手の幸福を共に喜ぶ心。

捨 「落ち着き」、相手に対する平静で落ち着いた心。