2日間の予算委員会質疑で安倍総理はじめ安倍内閣の閣僚の答弁を聞いていると委員である私にもアベノミクスと言われるものの正体がぼんやりだが見えてきた気がする。
 3つの矢のうち、明らかに2つは、同じ括りに内包されるべきものだ。そしてこの中で最も難しいのが、成長戦略、なかんずく規制改革だ。規制改革は、既得権益と真っ向から対峙しなければならない。もし、それができないならば掛け声だけに終わってしまう。

好循環を創りだすという基本方向は、正しいと思う。ただし、その好循環が世界経済との関係でまだ不明な点があるのも事実だ。

民主党政権においてGDPデフレーターは、約2分の1に縮減した。予算についても決算ベースでみれば分かるように、財政規律に配慮しながら 大胆かつ慎重な運営を続けたこともあってプライマリーバランスは回復のトレンドに乗っていた。

しかし、それがこの安倍政権の大型補正予算で一気に崩れた格好となっている。現在のところ円高是正、株高が好感されているのも事実だ。しかし、円安はいつまでも喜んでいられないし、何よりも「古い鎧」が復活しつつあることに危惧を覚える。

政権交代前の野党時代に私たちは、国家戦略局構想を持ち、インナーキャビネットの構想を次の内閣で具現化していた。政権を担ってからも、その構想の具現化に力を注いだ。自民党が、経済財政諮問会議という、ある意味での閣僚級の「インナーキャビネット」を採用したことも、間違いでなかったと思う。もっと言えば、民主党の構想と類似したものであったならば、それをそのまま引き継ぐことがあっても良かったのではないかとさえ思う。

問題は、その後のことにある。私も実際に巨大省庁である総務省の大臣と内閣府の特命担当大臣を任命されていたが、人事と予算を握る総務省の力と各省から人が集まってきている内閣府の力を比べると、どうだっただろうかという気持ちが消えない。

こんなことを述べると「人によるよ」という声が聞こえそうだ。民主党政権で国家戦略局の担当についた者の能力は高い。しかし、それでも政策背番号制など入れるところまで至らず、私たちは、下野を余儀なくされた。

予算委員会の席は、民主党は6人しかいない。
筆頭の長妻代議士。その横に岸本、玉木の2期目を迎えた代議士。そして前原代議士と私、辻元代議士が二列目に座る。

質問と答弁について、議席で様々な分析や論評を加えることもある。
3人寄れば文殊の知恵というが、本当に参考になる。
質疑者が交代する時に流れる空気も興味深い。
予算委員会と言う国会の花形とも言われる委員会の委員室は、思ったよりも狭い。しかし、矛盾するかもしれないが、時には相当広く感じる。巨大な気の流れを制したものが論戦の勝利者になるような場面も何回も経験してきた。

前原代議士に聞いてみた。「もし前原さんが野田さんの立場だったら、あの時に解散していましたか?」
これに対して前原さんらしい答えが返ってきた。
松下政経塾の1期生が野田さん。そして8期生が前原さん。私は、その間の4期生だ。
日本新党議員が多数の誕生した中選挙区最期の選挙が初陣だった。500票差の苦杯を舐め彼らとは当選同期とはならなかった。

この遅れは、その後もいろいろなところで影をさした。誰を責めることもできない。自身を責めるべき遅れだった。しかし、振り返ってみると、この遅れは、悪いものを私にもたらしたとだけは言えない。神が道をわざと遠回りさせられて守ってくださったのではないかと思っている。