原口一博 オフィシャルブログ Powered by Ameba
2011年11月11日金曜日、私たちは福島県の双葉地域広域圏消防本部の皆様のご支援をいただき、
福島第一原発20㎞圏内で放射線の定量観測をしている消防本部隊員の激励と視察を行いました。
同行した代議士は松木けんこう代議士。
楢葉町の松本町議と楢葉町役場の職員の方々でした。
古くからの友人のジャーナリスト、今西さんらも同行してくれました。

福島県いわき市は、東北で二番目に大きな都市で東京からは常磐線で2時間の距離にある町です。
今回の東日本大震災で一番長く揺れが続いた町でもあります。

メディアや政府関係者の多くが便利で早い新幹線を利用して福島入りするために、
郡山や福島、南相馬といった地域に比べて情報が国民の目に触れることが少ないと言います。 ...
気候も温和、豊かでのんびりした町。
北関東と言ってもいいくらいに東京からの距離が近く、
東北というよりも関東近郊の大きな都市という佇まいです。

いわき駅の周辺も近代的に開発されており36万人もの人口を有する都市です。
合併して大きくなったとはいえ、この大きな人口を抱える都市のすぐ近くに福島第一原発があることに愕然とします。
今でも許可が無ければ立ち入ることが許されない福島第一原発の20㎞圏内は、目と鼻の先で す。
しかし、ここで断っておかなければならないのは、その放射線量です。
いわき市の放射線量は低く、単なる距離だけで判断する風評被害の深刻な被害を蒙っている地域でもあることを
多くの皆さんに理解していただきたいと思います。
福島第一 原発の事故で爆発が起きた時の風向きは、南東の風でした。
「機械的に20㎞圏を指定してしまった前の内閣の対応がいかに間違っていたか。
そして被曝させてはならない人たちをどれだけ被曝の危険にさらしたかを
20㎞圏内を視察していただければ、お分かりになると思います。」
ぐにゃぐにゃに捻じ曲げられた線路。
根こそぎ削り取られた家屋。
どこを見ても津波の破壊の凄まじさがまざまざと見てとられます。

仮設の役場で打ち合わせをした後、仮設住宅を訪れ、これも仮設の販売所を訪れました。
地元産の木材を使った仮設住宅にはロフトがあるのに対して
旧来のプレハブ仮設は、それもなく余計に狭く感じるとの事でした。
「不公平感」を先が見えない辛さが、さらに増幅しています。
それにもかかわらず、行く先々で笑顔で迎えていただき、私たちの方が激励を受けているような感覚を感じました。
販売所の皆様とも握手を交わして、目的の20㎞圏内を目指しました。

20㎞圏内に入るためには特別の許可が要ります。
私たちは,Jビレッジの向かい側にある双葉地区広域圏消防組合本部に寄って、
そこで防護服に着替えて入ることになりました。 
総務省消防庁を所管する元総務大臣として、衆議院総務委委員長として
日夜精励している隊員の皆様の労苦に感謝を捧げてあわせて労いを申し上げました。
「防護服」は、こんなに簡単なものかと拍子抜けさえする感じのものでした。
車の外に出るために靴もすっぽりと覆い、その上を青いビニールのカバーで覆います。
トイレなど一度着てしまえば簡単には行けないつなぎを着るわけですが、
そう思えば思うほどある種の強迫観念に襲われるような感覚を覚えました。

ゲートの検問には幾人もの警察官。
細かい雨が降っていました。
放射線からも放射性物質からも身を守らなければならない場所です。
1000人を超える作業員の人達がこのJビレッジから福島第一原発めがけて行き来しています。
誰もいない町に向かう恐怖のようなものを感じるということは、
不思議にありませんでした。
寧ろ、多くの人達が普通に暮らしている「日常」のすぐ隣に想像もつかないような
非日常の空間が広がっているのが奇異に思えるのでした。

「ここに少し寄っていきましょう。」
松本議員が高齢な母を避難所には移せないという理由で、
今もなお20㎞圏内に残っておられるご家庭に寄ることを提案されました。
ゲートのすぐ内側。
車で3分も離れていない距離にそのお宅はありました。
(続きは後日アップロードします。)