愚者の愚問的種々雑考 | 晩節雑考種々雑考~明るく素直にあたたかく~

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とかくこの世は生きずらい、みだりに悲観も楽観もせず、執念深く生き通していく精神を養いたい・・・・

 ある新聞の見出しにこう出ている・・・・・・


『生活保護引下げ

 「何を削ればいいの」

  厚労省前 市民団体が抗議』


 これは最近の新聞の見出しのようにみえるが最近ではない。


2007年11月30日(金曜日)。


前の自民党政権の時のことである。


 いままた奴らはまたしても『生活保護引下げ』を策謀。

 それも用意周到に。

 多くの人々に忘れられてしまったかもしれないが、

昨秋、自民党議員らによる

生活保護受給者の多くが不正受給であるかのように人々に刷り込む『生活保護バッシング』の嵐が吹き荒れたが、あれは政権奪還後を見据えた伏線である、と当時から気が付いていた人は少ない。


 奴らは伝統的に生活保護受給者を怠け者・社会のクズと見做し、生活保護受給に至った経緯や本来生活保護を受給してもおかしくない受給すべきなのになぜかできない人々の存在に関心がない。

 奴らの本音は生活保護制度など廃止してその金を金儲けに使って景気を良くした方が世の中のためになる。表向きの好景気の影で、その好景気の恩恵にあずかれず人知れず野垂れ死にする人々が必ず存在する。そんなのは仕方がない、運が悪かったとあきらめちまえ、それが資本主義社会の現実であるが、もういい加減それでいい、仕方がない、じゃあどうすればいいんだコノヤロー、などと言う血迷った世の中はやめにしたいものだ。次に野垂れ死にするのは間違いなくこの俺だが、その次かその次あたりはあなたかもしれない、おそらく強欲金儲けに一人残らず参加させられしくじった人から野垂れ死にしていく社会になる、いやもうなっているのかもしれない。

 よくも人々を見せ掛けだけの『経済幻想』で人々をその気にさせて肝心な問題を葬り去る奴らの独裁政治が民主的選挙で続いてきたものだ、とこの国の未来のため・この国で育つ民族国籍等に関係なくすべての子供たちのため民主主義の程度の低さを思わずにはいられない。


 以前より不思議でいまだによく理解できないのだが、農業をやっておられる方の多くが自民党支持者だとか?

 農業なんか興味ねえ食い物なんか輸入した方が安上がりで金儲けに利用できるとカネ欲に色目を使っている資本家連中と同じ政党を支えている不思議。

 労働組合運動に詳しい方なら、農業は戦後の農地改革で小作人(労働者)が自作人(経営者)になったが、それは自らの闘争で勝ち取ったのでなく、上からの改革でそれまでのある一定の目的(農地解放)を達成してしまってダメになった、小作人のままだったら地主を労働者対資本家の対立構図そのままに小作人対地主で、闘いやすかった、などと言われるのではないだろうか?


 愚生のようなものが言うのもなんだが、社会党(現・社会民主党)や日本共産党が、農業をやっておられる方々を『お客さん』として育てられなかったこと問題性の方が大きいと思う。なんだかんだ言いながら自民党は『お客さん』を育てたのではなかろうか。

 日本共産党は戦前の弾圧で壊滅。社会党は戦前の弾圧下を自分たち自身にうそをついて生き延びた。ともにドイツ・フランス・イタリア・スペインなどのようなレジスタンス(抵抗)運動をおこなえなかった。この『負の現実』がその後も今も尾を引いてしまっているように思えてならない。

 第二次世界大戦中日本では、『こんな戦争やめちめえ~!』といった活動は全くみられなかった。当時を知る人に聞くと、『そんなことしたら殺されちまったよ』と言う答えがほぼ間違いなく返ってくる。


『白バラの祈り』と言う映画がある。

『第二次世界大戦下のドイツで、ヒトラー打倒のビラをまいて即刻死刑になった人々の実話』

 日本人からすれば、そんなことするから殺されるんだ!(ここに死刑の『犯罪』抑止効果の実例を見る。だから死刑廃止の論理が理解されない)、という事になるだろうが、それでもドイツの人々は、権力(恐ろしいナチス)への抵抗をやめなかった。

『1900年』と言う映画を20年ぶりに観て初めて観た時以上にこの作品に魅了されている。一言で行って『農民賛歌』の映画である。二部構成合計五時間以上の大長編、かなり残酷な場面等も少なくない、観るのにそれなりの覚悟がいるかもしれないが観ていない方にはおススメ。甘っちょろいお涙ちょうだい的日本映画なんか見るな!

描かれる農民たちは皆文字もろくに読めない無学だが、仕事に誇りと生き甲斐を見い出し、身体を張って自分たちの誇りある仕事を護り育てそれこそ殺されても闘った。

 日本の農業労働者でそのように尊敬できるのは、飛行場建設や原発建設に疑問を抱きそれらと闘っているごくわずかの人々で映画『1900年』で描かれた農民を思わせる。

 誤解を恐れずに言えば、日本の多くの農業労働者は、志の感じられない子商人に成り下がり、権力にすり寄り要領よく補助金等を懐に入れてその時々をしのいでいるのではないか?仕事としての誇りや長期的展望があるのだろうか?そうした人々に社会党や共産党さらに労働組合団体は振り回され残念なことに権力と闘う仲間としての関係を築くことが出来ず、自民党は多くの農民を要領よく選挙等に利用して来た、そして今も。

 TPPで日本の農業が壊滅する、と言われているが、農業分野だけの問題だとは思わない。むしろ日本のすべての産業が一度崩壊しアメリカ式(すべてのアメリカ人がそうだとは思わない、アメリカ式金儲けの犠牲者が少なくない、と考えているが)強欲金儲けに都合のいいように再構築されるのではないか?見せかけだけの景気回復・見せかけだけの経済効果に浮かれ、その陰で没落する少なくない人々が出るはずだ、いつの時代でもそうした人々の存在は弾き飛ばされてきた、表向きの好景気に影で。


この先もそうしていくのだろうか?

しがないサラリーマンの皆さん、会社にいいようにこき使われている皆さん、皆さんのお子さんにも同じような人生を送らせたいんですか?

だだ単に食うためにだけ仕方がなく働いている、お子さんにもそんな人生を送らせたいんですか?


じゃー、どうすればいいんだよ!


そういわれると思います。自分の足で立ち上がり、自分の頭で考えて生きていますか?


確かにそのように努力をした愚生は間もなく社会のクズとして野垂れ死にするでしょう。

そんなのゴメンダ、と言ってくださってかまいません。

そう、自分は、世の中に疑問を抱かずにおとなしくこの国の奴隷になるつもりで生きてくれば、こうはならなったかもしれません。

しかしそういう運命にはなかったにすぎない。


自分の頭で考え、自分の足で立ち上がり、精神的に自立した個人とならず、世の中の流れに任せていていいんですか?そんな世の中を宇宙船地球号の未来の主人公である子供たちに引き継がせられますか?


この世の中を実質的に支配している人たちの言いなりにやりたくもない仕事を喰うために仕方がない刃向かっても無駄だ、それこそ子供たちのためだ、と言い訳をして同じような目に将来子供たちをあわせる、そんな世の中でいいんですか?


特効薬は残念ながらありません。

世の中少しでもこれでいいのか?そう思ったら立ち止まって考えてみてはどうでしょうか?そして同じような仲間を探す。

勇気なんかなくてもいいのではないでしょうか。まずは少し考えてみる、そしてこの世の中を実質的に支配している人たちの言う通りにはしない、疑ってみる。別に焦ってやつらに石を投げたりする必要はありません。

まずは冷静に世の中をみつめ、こんな世の中で子供たちのためにいいのか?そう考えてみることからはじめるべきではないでしょうか。間違ってもこの世の中を実質的に支配している人たちの言うことに乗せられないようにまずは注意しようではありませんか。


だれだれさんがTPPには明るい未来の可能性がある、と言っていたら、その人を信用してはいけません。

まただれだれさんがTPPにはこんな危険な可能性がある、と言っていたら、それは我々に都合の悪いことですから、その内容を自分でよく勉強してみましょう。

はいはい、といい子にしているのではなく、疑ってみる、勉強ってそういうところから始まるものではないでしょうか。