皇太子スペイン訪問。
日西交流400周年と言われるが400年前は1613年で関ヶ原の合戦(1600)と大坂夏の陣(1615)の間。
ザビエル(1506~1552)が日本にキリスト教をもたらしたのは1549年。
家康(1542~1616)が数え年8歳だった年で鉄砲傳来(1543)の6年後。
posted at 11:31:31

@tv_asahi_news 「日・スペイン」は「日西」にすれば2文字で済む。
400周年ということは日本とスペインの交流は1613年、大坂夏の陣(1615)の2年前から?
フランシスコ・デ・ザビエルの来日は1549年だから466年前。
posted at 01:28:26

@tv_asahi_news 日本とポルトガルの「日葡」交流はいつからか。種子島に鉄砲が伝来(傳來)したのは1543年だから472年前。
posted at 01:29:42
 
語頭のXは西班牙語で[s]、葡萄牙語で[∫]になるらしい。中国人は「西」の声母を表す拼音にXを採用する際、これらの西欧語を参考にしたのか?
もし、Xangaiがポルトガル語で「上海」を意味するなら、ShànghăiのShもXにされてしまった格好だ。

1982年から91年まで、国連の事務総長だったハビエル・ペレス・デ・クエヤル(Javier Pérez de Cuéllar)はペルー人で、かつての肩書と名前はシナ語で「联合国第五任秘书长 哈维尔·佩雷斯·德奎利亚尔」。
Pérez de Cuéllarは日本語で「ペレス・デ・クエヤル」であって、CuéLLarが「クエヤル」KueYaruになっている。シナ語では「佩雷斯・德奎利亚尔」だから、CuéLLarが「奎利亚尔」KuíLìyà'ĕrになっている。
個人的に「ペレス・デ・クエヤル」か「ペレス・デ・クエリャル」か(下注釋)、という違いに注目していたが、その他に気になってたのは「ハビエル(Javier)」の方。これは日本にキリスト教をつたえた宣教師・フランシスコ・ザビエルの「ザビエル(Xavier)」と同系か。

ペロ・ディエス (Pero Diez) というスペイン人が、1544年に日本に到達していたという説もある。

 フランシスコ・ザビエルの名はシナ語で「圣方济・沙勿略」である。
普通話で読むとShèng Fāngjì Shāwùlüèになるか。
ちなみにサンフランシスコ(桑港)はシナ語で「旧金山」Jiŭjīnshān。

江戸時代の日本にドイツ人がオランダ人に紛れて入国していたのであれば、ザビエルより前に別のスペイン人がポルトガル人に同行して安土桃山時代の日本に来ていたとしても不思議ではない。

 「オランダ語はドイツ語の方言」「ポルトガル語はスペイン語の方言」のようなものだろう。逆に日本人が複数の方言を使い分けたり、敬語とタメクチを使い分けている姿は、海外から見れば多言語話者なのだろう。

 ロシア語でドン・キホーテはДон Кихот。
フランシスコ・ザビエルはФранциск Ксаверийだが、Франсиско Хавьерもあるようだ。

 Mao Zedong(毛澤東)を「モータクトー」と呼んでいる日本人が、Xavierは「ザビエル」か「シャビエル」かという問題について悩んだりしたら、これは滑稽だろう。

 辞書を見るとFrancis(co de)Xavierの名前のXavierは英語でXávier[zæviər,zéiviər]らしい。今のスペイン語でJavier[xabjér]になっているようだ。

RT RT RT RT RT RT RT
tweet(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)    

関連語句
ハビエル(内容検索)
ザビエル(内容検索<ものがたりの歴史II)
Yahoo!ブログ - [デ・クエリャル][デ・クエジャル] の検索結果(記事)
デクエヤル 中国語 de Cuellar」の検索結果 - Yahoo!検索

注釋
「ペレス・デ・クエヤル」か「ペレス・デ・クエリャル」か