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5 日本の人名漢字



固有名詞の漢字

 「稀星(きらら)」という命名が問題になったという新聞記事があった。「希美」は「きみ」か「のぞみ」か一々確認しないといけないし、「希空(のあ)」だの「悠仁(ひさひと)」だの、義務教育で習う漢字の読み書きの知識では対応できない。中国なら「稀」と「希」はxīで「星」はxīng、「美」はmĕi、「空」はkōng、「悠」はyōuで、「仁」はrénだから、人名でもそのままつなげて読めばいい。

 日本の役所では、「隆」の右の「生」の上に横棒が入った字と入っていない字の違いだけで「別人」扱いして、身分証明書の更新でも本人が門前払いを食らった例があるという。

 常用漢字枠は有名無実で、今や、枠があるだけ無駄といった状態になっているようだ。むしろ、枠外の漢字は非略字にする慣用があり、常用漢字とは略字で書く字と非略字で書く字の線引きにすぎない。校正者は、どの漢字が枠内で、その漢字が枠外か、常に資料を携帯するか暗記する負担を強いられ、使える人名用漢字が加わるたびに、そのリストを持ち歩く羽目になる。そもそも、「常用漢字」の枠とは何のためにあるのかわからなくなっている。

 非略字や異体字を認めるための「人名用漢字」という枠を特別に設けること自体がおかしい。そんなものがあると、漢字の簡略化の意味がなくなる。

 あくまで推測だが、人名用漢字を増やしたい人は、本音では「戦後」の国語改革が間違いだったと認めているのではないだろうか。しかし、「あれは間違いだった」とおおっぴらに言えない事情があるようで、「人名用」という特例を設けて、そこで「眞」や「榮」を認めているのだろう。



「長澤&沢尻」

 往年の大投手・沢村栄治の名は生前、「澤村榮治」という表記だったはずだ。「澤村榮治」は「終戦」の前年、
1944年に戦死している。「終戦」の国語改革で「沢村栄治」になったわけだ。しかるに「戦後」65年たった2010年秋のドラフトで指名された沢村拓一投手は「澤村拓一」と表記されることが多く、事実上、「沢村拓一」と「澤村拓一」の2種類が使われている。NHKの『アスリートの魂』での特集を見ると、少なくともテレビ欄では「沢村拓一」、本人が学校(小学校か中学校か高校か不明)を卒業したときの手書きの署名も「沢村~」だったが、各局のテレビ画面では「澤村~」も多く見かける。

また、女子サッカーの沢穂希(さわほまれ)選手は「澤穂希」とも書かれて、これまた2種類の表記になっている。しかしどちらの場合も「穂」は略字のままで、「穗」に戻されてはいない。

タレントではNHK大河ドラマ『天地人』に出演した女優の長澤まさみと元モーニング娘の中澤裕子と吉澤ひとみでは「澤」が使われ、一時期、「長澤&沢尻」という珍妙な表記も雑誌にあった。書籍などで吉澤ひとみの「吉」は上が「土」である。

 日本では「黑龍江省」Hēilóngjiāng-shĕngを「黒竜江省」に、朝鮮の地名でも「龍川」Ryong-cheonを「竜川」にしながら、川田龍平議員のような一部の固有名詞で「龍」を使っており、この人名をたとえば「川田竜平」のようにすることは普通はなく、あっても誤りのように扱われるようだ。「坂本龍馬」は『竜馬がゆく』のころは「竜馬」だったのが40年たって『龍馬伝』では「龍馬」になっている。「滝沢馬琴」は正確には曲亭馬琴らしいが、もし生前「瀧澤」を名乗っていたら、「滝沢」表記は当人の自称を無視していることになるのだろうか。

日本では人名の「たきざわ」の場合、「瀧澤」「滝澤」「瀧沢」「滝沢」の4つが「同じ名前の違う表記で書き換え可能」なのか、4つのまるで違う名前なのか、まるで判断基準がない。この4つは台湾では「瀧澤」、中国大陸では「泷泽」となって、北京語でLóngzéと読まれることになる。大河『義経』で主役を演じた俳優はWikipediaの日本語で「滝沢秀明」だが、言語を「中文」にすると「瀧澤秀明」と出た(2008年1月23日の時点)。

 「ジャッキー・チェン」こと「成龍」は自分の名前が「龍」か「竜」か「龙」か問題にするだろうか。中国人はその点、異体字同士の違いなど問題にしない場合が多い。



日本人名の「中国読み」 

 「稀代(きだい)」は「希代」とも書かれるが、これは「稀(き)」が「希」と同音だからである。dumb bellを訳した「唖鈴」は日本で「亜鈴」になっている。形声文字の音符だけを残すなら「亜令」でもよさそうなものだ。「年齢」を「年令」と書くのと同じである。

 また、「影」が、訓読みで「かげ」であるだけでなく、「高橋景保(たかはしかげやす)」のように「景」も人名で「かげ」になる。「かげうら」の漢字が「影浦」だと読めるが、「景浦」だと、振りがななしでは読めない人が多いだろう。「影」yĭngは「景」jĭngを音符とし、声母が脱落したものだろうが、「景」は「京」jīngを音符とする。「影」と「景」の音の類似が訓読みという「和語訳」でも応用されている。中国人は「景浦」の読みで困ることはない。「景」を「風景」fēngjĭngや「景色」jĭngsèのなかの「景」の音jĭngで読み、「浦」もpŭと読めばいいだけの話だ。

 日本で「大阪」と「神戸」が「ハンシン」になり、「東京」と「千葉」で「ケーヨー」、「東京」と「横浜」で「ケーヒン」、「東京」と「名古屋」で「トーメー」というのは、漢字の日本語読みによる異常な体系である。中国ではもちろん、組合せによって発音が変わることはない。

 同様に「北京」の劇が「キョー劇」というのも妙な話で、北京語では「北京」Bĕi-jīngと「京劇」Jīng-jùだから、漢字を見なくても音で推測できる。

 「早稲田大学」はZăodàotián -Dàxuéだから「早大」Zăo-Dàになる。日本では今でも「ワセダ大学」を「ソー大」と略すいい方がある。「ワセダジツギョー」は「ソージツ」だ。1987年ごろに日本のテレビでは「アベとタケシタ」で「アンチク連合」とか、「外国カワセ」が「外タメ」となっていた。

 昔、テレビで観た記憶だが、北島三郎が中国で公演をして、日本の歌番組で報告したとき、司会者が「北島三郎というのは中国でどう呼ばれるか」という質問をしたら、当人はBĕidăo Sānlángと答えた。司会者はすぐ、BĕiはBĕijīng(北京)のBĕiで、dăoはQīngdăo(青島)のdaoだと納得した。

 このように、中国では漢字音を覚えれば、どんどん応用が効くのに、日本ではそうなっていない。むしろ日本の子どもは漢字を、日本語でなく「中国語」で学んで、それから複雑きわまる日本の漢字の読み書きに進んだほうがいいのではないかとさえ思えてくる。

 日本では文学作品で『鉄道員(ぽっぽや)』とか、漫画で『聖闘士星矢(セイントセイヤ)』)のように、普通と違う翻訳のような読み方をよく使う。中国人にとっては「ぽっぽや」や「セイントセイヤ」のような読みは問題外で、『鉄道員』をTiĕdàoyuán(铁道员)と読み、『聖闘士星矢』をShèngdŏushì Xīngshĭ(圣斗士星矢)と読むほかはない。



『世界の中心で愛をさけぶ』の一場面

 小説『世界の中心で愛をさけぶ』で「廣瀬亜紀」という少女の名前の表記を、彼女の母親が主人公の松本朔太郎に説明する場面がある。本人は自分の名前をカタカナで「アキ」と書いていて、朔太郎はこの「アキ」を「秋」と勘違いしていた。

彼女の母親は、「アキ」は白亜紀の「亜紀」であり、苗字について「広瀬のヒロって、本当はこのヒロなの」と言いながら「廣」という字を指で掌に書いて見せる。この作品が英語や中国語に翻訳された場合、この部分はどうなるのだろう。

 まず、西洋語ではAkiはAkiであって、漢字でどう書くかは問題ではない。あるとすればAquiとAkyのような綴りの違いである。中国語圏では「亞紀」または「亚纪」はYàjìであって「秋」Qiūと混同することはありえない。また、「白亜紀」は「白堊紀」、「白垩纪」Bái’èjìであって、簡体字ならの「亚」の字が違い、「亚纪」の字体を説明するには、「白垩纪」とは別の材料が必要である。

 だから「渡瀬亜紀」は中国では「渡瀨亞紀」または「广濑亚纪」になる。「瀬」の右の「頁」も「刀+貝」またはその簡略化した形になる。中国では簡体字を使う場合は全部簡体字で、特定の人名だけ特別扱いするわけにはいかない。「本当はこのヒロ」というのが中国でどういう意味になるか考えてみると、簡体字の「广」は本来「廣」だということになる。それは「広大な区域」を意味する「广大的区域」が本来は「廣大的區域」であるというのと同じことで、特定の個人の名前だけに限定した話ではなくなる。

 翻訳者にとっては悩ましい場面であろう。


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2011年9/13 [1] [2](詳細)