松山ケンイチの本名は「松山研一」で、北京語で読むと Songshan Yanyi である。
しかし台湾では「松山健一」と書かれているようで、本人が異を唱えた。
しかし台湾では「松山健一」と書かれているようで、本人が異を唱えた。
平成22年、民国99年
中国人(台湾人も含む)はこういうカナ書きの日本語の翻譯が苦手で、名前に関しては勝手に漢字を当ててしまうことが多い。
創氏改名の改名に相当する。
『北斗の拳』のケンシロウは本来、霞拳四郎だったらしく、『蒼天の拳』では霞拳志郎が登場する。
ところが中国では『北斗神拳』の主人公が「健次郎」Jiancilang になっている。
2010/12/15 『ノルウェイの森』(挪威的森林) 松山ケンイチ
創氏改名の改名に相当する。
『北斗の拳』のケンシロウは本来、霞拳四郎だったらしく、『蒼天の拳』では霞拳志郎が登場する。
ところが中国では『北斗神拳』の主人公が「健次郎」Jiancilang になっている。
2010/12/15 『ノルウェイの森』(挪威的森林) 松山ケンイチ
また、監督の名前が「トラン・アン・ユン」とされているが、調べてみるとベトナム出身で、Tran Anh Hung と綴り、漢字は「陳英雄」。
ベトナム語の Tran だから「トラン」でなくて「チャン」であり、Anh の nh も口蓋化した n で、次に「ユン」が来るから、「チャン・アニユン」に近くなるはずだ。
ベトナム語の Tran だから「トラン」でなくて「チャン」であり、Anh の nh も口蓋化した n で、次に「ユン」が来るから、「チャン・アニユン」に近くなるはずだ。
日本と中国で互いに人名を正しく書けていない。
英語圏では Ken'ichi は「ケニチ」と読まれるであろう。
柴咲コウはシナ語圏で「柴咲幸」または「柴崎幸」になるらしい。
「浜崎あゆみ」がシナ語圏「濱崎步」になる。
柴咲コウはシナ語圏で「柴咲幸」または「柴崎幸」になるらしい。
「浜崎あゆみ」がシナ語圏「濱崎步」になる。
松平健は2005年のNHK大河ドラマ『義経』で武蔵坊弁慶を演じていたが、松山研一は2012年の大河『平清盛』で主人公の清盛を演じているというのも奇遇である。中井貴一は『義経』では源頼朝を演じていた。
2012年、『ブラックボード』第3夜の裏の『アド街ック天国』で「以前は鎌倉幕府の始まりを1192年としていたが、今では歴史認識が変わって1185年と教科書に書かれてある。鎌倉幕府はイイクニでなくイイハコと覚えよう」という豆知識が紹介された。
1185年に守護・地頭が鎌倉に置かれて幕府の基礎ができた。1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年。
弁慶の大往生は1189年。幕府はあっても源氏の将軍はまだいなかった時期であった。
2012年、『ブラックボード』第3夜の裏の『アド街ック天国』で「以前は鎌倉幕府の始まりを1192年としていたが、今では歴史認識が変わって1185年と教科書に書かれてある。鎌倉幕府はイイクニでなくイイハコと覚えよう」という豆知識が紹介された。
1185年に守護・地頭が鎌倉に置かれて幕府の基礎ができた。1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年。
弁慶の大往生は1189年。幕府はあっても源氏の将軍はまだいなかった時期であった。
補足
韓国人俳優の名前など、中国では勝手に漢字を当てているようだ。
Park Yong-ha や Choi Ji-woo の漢字表記など、それぞれ2種類はあるようだ。
これが Kim Ha-neul や Park Sol-mi であれば漢字表記は一定しないだろう。
『ゴーマニズム宣言』の小林よしのり氏の本名は「善範」だが、『台湾論』のシナ語版を台湾で出したときには「小林善紀」というペンネームを使ったようだ。一部中国メディアでは「小林吉則」のような表記もあったと思う。いずれもシナ語で読めば互いに似ても似つかぬ音になる。
漢字を確認できない口頭の通譯では、こういう個人名がいきなり出てくると、通譯者にとって悩みの種であろう。
「松山健一」などは、正に田中克彦氏が著書で何度も書いている「“振りがな”ならぬ“振り漢字”」の
典型例である。
韓国人俳優の名前など、中国では勝手に漢字を当てているようだ。
Park Yong-ha や Choi Ji-woo の漢字表記など、それぞれ2種類はあるようだ。
これが Kim Ha-neul や Park Sol-mi であれば漢字表記は一定しないだろう。
『ゴーマニズム宣言』の小林よしのり氏の本名は「善範」だが、『台湾論』のシナ語版を台湾で出したときには「小林善紀」というペンネームを使ったようだ。一部中国メディアでは「小林吉則」のような表記もあったと思う。いずれもシナ語で読めば互いに似ても似つかぬ音になる。
漢字を確認できない口頭の通譯では、こういう個人名がいきなり出てくると、通譯者にとって悩みの種であろう。
「松山健一」などは、正に田中克彦氏が著書で何度も書いている「“振りがな”ならぬ“振り漢字”」の
典型例である。