漢字の書き分け5

 「真」と「眞」
 「眞」zhēnを「真」にするのは、遣唐使の時代、「井真成(ゐのまなり)」の時代から普通だった。中国大陸はもちろん、台湾でも「真」の字体が使われ、当然ながら、「慎」shènや「填」tián、「鎮」zhènにも応用されている。一方、韓国のYahoo!の検索では「浅田真央」は「淺田眞央」、「石原慎太郎」は「石原愼太郎」でないと受け付けられない。こちらは「眞」で統一している。「浅」と「真」は化けて、消滅してしまう。

 中国では「眞鍋かをり」も「真鍋~」に、「丸山眞男」も「~真男」になるわけだ。どちらか一方で充分なわけだ。
 ところが、日本では「真」系列と「眞」系列が明らかに使い分けられており、普通は「真」であるのに、ある特定の人の名前に限って「眞」にするというように、特別扱いされている。たとえば、「浅井愼平」と表示されているのも、その一例だ。しかし、新聞のテレビ欄では「真鍋かをり」「浅井慎平」になることもあり、結局、どちらが「正しい」のか、わからないことになる。

 本来なら、「眞」で統一して「淺田眞央」「石原愼太郎」「眞鍋かをり」「丸山眞男」「淺井愼平」「燃料の充塡」にするか、逆に「真」で統一して「浅田真央」「石原慎太郎」「真鍋かをり」「丸山真男」「浅井慎平」「燃料の充填」にするか、どちらかにすべきものだ。
 実は「真」と「眞」のどちらでも同じなのだから、一方だけを「正しい」と決め付けること自体がナンセンスである。結局、政府が漢字を簡略化したところで、個人が好き勝手な漢字を使いたがって、いろいろな異体字が氾濫するのは、いつの時代でも同じことのようだ。

 「嬰」 「兒」
 日本では「櫻」を「桜」にしているが、これは「嬰児(<~兒、えいじ)」の「嬰」や「鸚鵡(おうむ)」の「鸚」では適応されていない。中国では「櫻花」yīnghuā、「嬰兒」yīng’ér、「鸚鵡」yīngwŭ、が、それぞれ「樱花」「婴儿」「鹦鹉」になり、「嬰」の略し方が一貫している。「鸚鵡」は「鳥」を省くと「嬰武」になるから、「鸚鵡」は鳥の名前で、發音は「嬰」yīngと「武」wŭのような音節の連続だということを意味する。「インコ」は漢字で書くと「鸚哥」であり、yīnggēという音は「嬰」yīngと「哥」gēであらわし、さらに、「哥」gēは「可」kĕを含む。

 「兒」を「児」にしたのは宋黄庭堅『致景道十七使君』にあった俗字らしい(謝世涯『新中日~』)。
 日本語で「児」は「小児科」で「に」、「児童」で「じ」であるが、北京語ではすべてérになり、「小儿科」xiăo’érkē、「儿童」értóngという具合だ。また、日本の漢和字典では「儿」を「人」の異体字として掲載しているが、中国大陸では、このように「兒」の略字である。
 また、「猊」「倪」「霓」「鯢」の發音はníであり、中国の辞書では「儿」とは別に「倪」の異体字として「兒」がníの音で掲載されている場合がある。「倪」の日本語音「ゲイ」は語頭がngだったもので、北京語で口蓋化してnになった。「兒」ではnがrになって、音節全体が巻舌母音erになった。
 erとniの関係でいえば、「尓(<爾)」ĕrと「你」nĭ、また、「二(=弍=貳)」èrと「膩」nìがある。

 「萬(>万)」「邁(>迈)」、「南無(>无)」「越南」
 また、wとmの関係で、「万(<萬)」wànが人名「万俟」MòqíでMòになり、形声文字で「邁(>迈)」màiがあること、「無(>无)」wúが佛教用語の「南無」nāmóでmóになる例もある。「南」は単独でnánだが、古音がnamだったことは「越南」Yuènánの自称Vietnamでわかる。

「數」「藪」「樓」、「會」「檜」「膾」
 また、日本では「數」を「数」にしながら「薮(やぶ)」を「藪」、「楼」を「樓」と書いたり、「會」を「会」に、「繪」を「絵」にしながら「檜(ひのき)」や「膾(なます)」はそのままだったりして一貫性がない。中国大陸では「数」shŭ、shùと「薮」sŏu、「楼」lóu、「会」huì、kuàiと「桧」huì、guì、「脍」kuàiのように一貫性がある。

「賓」
 大陸で「賓」binは「宾」に「濱」bīnは「滨」になり、「浜」bāngは「小川」の意味。しかし、「横浜」などの日本の固有名詞の「浜」はもとが「濱」ということで「横滨」Héngbīnのように「滨」になる。日本の人名や地名で「濱」と「濵」の違いを毅にする必要はない。
 浜崎あゆみは中国で「濱崎步」Bīnqí Bùである。彼女の難聴に関するシナ語の記事をインターネットで観たら、「突發性難聴」が「突發性内耳障礙」tūfāxìng nèi'ĕr zhàng'àiになっている。中国では「突」tūの「穴」の下は「犬」で、「礙」àiは「碍」の異体字。「突發性耳聾」~ĕrlóngもある。

 「障碍」「障害」「傷害」
 「傷害」shānghàiは「傷つける」という意味で、「障碍」zhāng’àiは「さまたげる」という意味。日本では「碍」を拒否して「障害」という熟語を作ったが、それで「傷害」との区別が難しくなっただけでなく、いわゆる身体障碍者の間で「害」が不評で、「障がい者」「しょうがい者」と書く人が多い。
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2009年3/4 3/18

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