5. 人名用漢字の読みがデタラメで不規則なのは日本だけ2008/4/15(火) 午前 5:24 

 日本の固有名詞の漢字の使い方は漢字嫌いを増やすだけ
 「稀星(きらら)」という命名が問題になったという新聞記事があったが、「希美」は「きみ」か「のぞみ」か一々確認しないといけないし、「希空(のあ)」だの「悠仁(ひさひと)」だの、義務教育で習う漢字の読み書きの知識では対応できない。中国なら「稀」と「希」はxīで「星」はxīng、「美」はmĕi、「空」はkōng、「悠」はyōuで、「仁」はrénだから、人名でもそのままつなげて読めばいい。
 また、日本の役所では「隆」の右の「生」の上に横棒が入った字と入っていない字の違いだけで「別人」扱いして、身分証明書の更新でも本人が門前拂いを食らう例がある。また、「秋沢」が「穐澤」と書かれ、漢字をカナに置き換えるよう命令された人が「穐」を読めず、「カメザワ」にした例がある。日本は人名を全部カナで書くよう、方針を定めたのなら、なぜ、今、そうなっていないのか。20年ほど前、長嶋茂雄は「長島~」と書かれていた。

http: //www.asahi.com/special/070529/TKY200706160297.html
バイト経験者、年金入力ミス認める 「自分のせいでは」(2007年06月17日17時30分 朝日新聞)


 常用漢字枠は有名無実で、今や、あるだけ無駄。むしろ、枠外の漢字は非略字にする慣用があり、常用漢字とは略字で書く字と非略字で書く字の線引きに過ぎない。校正者はどの漢字が枠内で、その漢字が枠外か、常に資料を携帯するか、暗記する負担を強いられ、使える人名用漢字が加わるとそのリストを持ち歩く羽目になる。そもそも、「常用漢字」の枠とは何のためにあるのか、わからなくなっている。中国ではこういうことはない。
 たとえば、「食」でも「示」でも偏にしたら「'290;」jiăo、「'277;」fàn、「神」shén、「ネ巳」sìになる。人名でも地名でも例外はない。手持ちのパソコンでネットにつなぎ、簡体字中文のGoogleで「祭祀」で検索、出てくる網頁を開くと、「祀」が自動的に「ネ巳」になり、繁体字中文のGoogleで「祈禱」で検索すると、入力したそばから「祈ネ壽」になった。
 「双葉山」という表記は「終戦」前から使われていた。大陸で「双叶山」Shuāngyè-shān、台湾で「雙葉山」になる。
 非略字や異体字を認めるための「人名用漢字」という枠を特別に設けること自体が間違いである。そんなものがあると、漢字の簡略化の意味がなくなる。
 「大佛次郎」という名前は、私には「だいぶつじろう(<じらう)」としか読めない。これを「おさらぎ~」と読むなら、「奈良の大仏」も「奈良の大佛」にして、「ならのおさらぎ」と読まねばならない。そもそも、人名で「佛」を使うくらいなら、なぜ、「仏」などという、海外で通用しない俗字をいつまでも使っているのか。

2004年7月15日の読売(讀賣)新聞で、辞書業界の戸惑いが報道されたが、そういう世の中にしたのは大衆であろう。「遥」と「遙」など、異体字が両方、「正しい」とされたことで、辞書業界が困惑しているという報道が出たが、これは民衆の自業自得である。
Google どっちが親字?人名漢字異体字OKで辞書業界、戸惑う(読売)

 あくまで推測だが、人名用漢字を増やしたい人は、本音では「戦後」の国語改革が間違いだったと認めているのではないだろうか。しかし、「あれは間違いだった」とおおっぴらに言えない事情があるようで、「人名用」という特例を設けて、そこで「眞」や「榮」を認めているのだろう。