Y!辞書


 「わ、ゐ、う、ゑ、を」の發音は、それぞれwa、wi、wu(=u)、we、woであった。平安時代中期には区別されていたようだ。なお、手持ちの電子辞書の国語辞典でwiと入力しても「うぃ」が出るだけで、「い」の箇所に「ゐ」があるが説明はなく、「ゐ」「ゑ」「を」は「わんわん」を出して「↓」を押してその次を探す以外にない。

 「異邦」は「いはう」、「違法」は「ゐはふ」である。「違法」が北京語でwéifă、朝鮮語でwipeopであることからわかる。「い」は「以」yĭの草書で、「ゐ」は「為」wéiの草書であるから、現代日本語音で「イ」になるもののうち、北京語でyiであれば日本語音も、もとから「い」であり、北京語でweiであれば日本語で「ゐ」になっていることがわかる。
 だから、「異」yì、「医」yī、「衣」yī、「伊」yī、「意」yìは「い」である。また、「違」wéi、「偉」wĕi、「圍」wéi、「威」wēi、「委」wēi、wĕiは「ゐ」であることがわかる。
 「医大」は「いだい」であり、「偉大」は「ゐだい」である。
 「韋陀(ヰダ)」は梵語vedaの音譯で「知識」を意味する。現代北京語で読むとwéituóになる。「韋」の日本語音「ヰ」がwiであり、圓唇で始まることが原語のvをあらわす。
 「ヰ」は「井」からきており、これの訓読みがwiであることからきている。和語の「~してゐる」の「ゐ」も本来はwiである。
 「再開」は「さいかい」、「再会」は「さいくわい」、「最下位」は「さいかゐ」である。

 「う」はア行の「う」と同じで、ワ行のwuはア行のuと同音である。

 「ゑ」は「惠」の草書で、北京語音huìはhuèiと書いてもいい。これが日本語音の「ゑ」weと「くゑい」kweiになった。「ゑ」weが「え」eになる途中で「イェ」yeと混同され、「圓(ゑん)」などはwenからyenを経てenになった。「エカテリーナ」、「エリツィン」などにもYeの音を「エ」にする習慣が残る。「江戸」は本来、Yedoだったらしい。「恵比寿(<惠比壽)」は本来、「ゑびす」で、ローマ字でWebisuのはずだが、ビールの名でYebisuになっている。「惠」の場合、朝鮮語読みでhye[he]になっているところが興味深い。
 「上野(うへの)」はuΦeno(ウフェノ)からuweno>ueno(うえの)になったが、Uyenoという表記もある。「上澄み」が「(うはずみ>)うわずみ)」uwazumi、「上着」が「(うはぎ>)うわぎ」uwagiであるところにwが残っている。和語の「声」は「こゑ」koweであり、これから「声色(こわいろ)」kowa-iro、「声高(こわだか)」kowa-dakaが出てくる。

 日本語のひらがな、カタカナではヤ行エ段に特別な文字がなく、ア行のそれと同じ「え」になっている。平安時代あたりに「え」がeとyeを兼ねていたのであろう。「驛」、「譯」の字音も*「イェキ」*yekiだと考えると「ヤク」yakuとの関連性がはっきりするし、「燃える(萌える)」moeruも「燃やす」moyasuや「燃ゆる」moyuruから考えて、「モイェル」*moyeruだった可能性がある。「もゆ」は本来、「ヤ行下二段活用」である。歴史的かなづかいでは「思ふ」>「思へる」のように「ハ行四段」を重視するが、「燃ゆる」>「燃える」の「え」をヤ行独特の「かな」で表現できないところに限界がある。中世末期にweがyeと混乱した(『広辞苑』)。

 カタカナの「ヱ」の字源は『広辞苑』で「ゑ」の字源と同じ「惠」とされているが、「ヱ」は現在、中国大陸で「衛」wèiをあらわす簡体字「卫」とそっくりである。「衛」の日本語音読みも「ゑ」または「ゑい」である。日本では「柳生十兵衛」などの「衛」の内部の細かい字体を云々する向きがあるが、まったく無駄なことである。『一休さん』に出てきた蜷川新右衛門や『ルパン三世』で有名な石川五右衛門など、テレビで「衛」が「ヱ」または「エ」のように書かれることがあるらしい。

 「を」は「遠」の草書で、「遠」の音読みは「ゑん」または「をん」であり、朝鮮語でweonである。
 「温泉(をんせん)」は安土桃山~江戸時代初期の『日葡辞書』でVonxenとして項目に挙がっている。つまり、「をんせん」の發音はwonʃenであった可能性がある。ちなみに北京語でwēnquán、朝鮮語でoncheonである。

 形声文字の字音と「ゐ」「ゑ」など
 「姻戚」と「引責」は「いんせき」で、「隕石」は「ゐんせき」だ。「姻」yīnと「引」yĭnは「いん」inになり、「隕」yŭnは「ゐん」winになっている。yu=ü[y]は初めから唇がまるい点がwと似ている。「因」yīnも「いん」inであり、「員」yuán、
yún、yùnも「ゐん」winになるから「要因」は「えういん」で、「要員」は「えうゐん」である。

 また、「唯」wéiの音読みに「ゐ」wiと「ゆい」yuiがある。「唯唯諾諾(ゐゐだくだく)」と「唯一(ゆいいつ)」を比べるとわかる。「隹」zhuīを音符とする文字には「椎」chuí、zhuī、「錐」zhuī、「堆」duī、「推」tuī、「崔」cuī、「催」cuīなどがある。拼音のuiはueiの簡略形であるから、声母が脱落したのが「唯」wéi、「惟」wéi、「維」wéiである。
 また、「準(>准)」zhŭnはzhuĕnと解釋するとzhuī=zhuēiはzhuenの後半のnがiになったようなもので、「匯(=滙、彙>汇)」huì(=huèi)と「淮」huáiは韻母が似ている。香港上海銀行の名称らしい「滙豐」Huìfēngは大陸の字体で「汇丰」になる。音節末のnとiの対応は「魂」hún=huénと「塊(>块)」kuài、「萬(>万)」wàn(廣東語man)と「邁(>迈)」mài、「軍」jūnと「輝」huīにも見られる。
 「誰」shuíも厳密にはshuéiと書くべき發音で、最初の圓唇がくずれてshéiになりやすい。
 「雖」suīも「隹」zhuīを音符とすると解釋していいだろうが、大陸でこの漢字の「隹」を省いて「虽」にしたのは、少し惜しかった気がする。
 「進」jìnは「隹」zhuīの音と関係がなさそうなので、大陸で「井」jĭngを音符にして「进」にしたのはよかった。これで「推進」tuījìnは「推进」になった。