「手帖(ててふ)」が日本で「手帳」と書かれるが、「帖(てふ)」と「帳(ちやう)」では読みが違う。時代小説のタイトルなどで「帖」と「帳」が頻出するが、「帳」がもとから「帳」なのか、「終戦」後の日本の国語改革で「帖」を「帳」に書き換えた結果なのか、わからなくなっている。朝鮮語で「手帖」はsu-cheopであり、suは「手」の日本語音「シュ」と同系で、cheopが「帖」が「テフ」と同系であることは一目瞭然。「帳」の場合、「長」を音符とする形声文字なので、もし、「手帳」なら朝鮮語で *su-jangになるところだ。

 「蝶(てふ)」は隋、唐代の發音でdepであり、これを日本人が「てふ」tehuで採用した。採用直後は「テプ」tepuだった可能性がある。「確執(かくしふ)」、「執着(しふちゃく)」の「執」は本来、「しふ」であり、「かくしつ」は「ふ」を「つ」と読み誤った結果。今では漢字音末尾の「ふ」は「う」になって前の母音と融合しているので、「確執」は「かくしゅう」、「執着」は「しゅうちゃく」となるべきものだ。
 「立」も「粒」が「りふ(>りゅう)」であるから、「りつ」は日本人が「ふ」を「つ」に誤った結果。「建立(こんりふ>こんりゅう)」では、これが「りゅう」として残されている。中国でLiptonを「立頓」Lìdùnにするのは「立」が本来、lipのような単語だからである。「十」の音読みは「じふ」で、廣東語でsap、朝鮮語漢語数詞でsipである。「十分」は「じふ・ふん」から「じっぷん」になっているが、發音の歴史からいうと「ふ」は「ぷ」から派生した。

 藤堂明保氏編『学研漢和大字典』によると、「葉(えふ)」は隋、唐代の發音でyiεpである。朝鮮語でyeopだから、「葉書」はyeop-seoで、「落葉」はrak-yeop>ragyeop、さらにソウル語でrがnになってnagyeopになる。「落ち葉を燃やしながら」はNagyeobeul Thae-umyeonseo(~eul=~を、thae-uda=燃やす、~myeonseo=~しながら)になる。『冬のソナタ』で韓国の女子高生が学校で落ち葉を燃やしながら、この随筆(または詩)のタイトルをいっていたのだが、日本語の字幕や吹き替えでは譯されていない。

 日本語の「十分」は「じふふん」zihu-hunから促音化して「じっぷん」zip-punになったが、「じふ」が「じゅう」nyuuになって、混同され、「じゅっぷん」zyup-punといういい方ができた。ほかに「じゅうぶん」という読みもある。朝鮮語で「十分」はsip-punである。

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2009年1/11~14


参照
2009年1月1日~14日