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「傅」と「傳」
 「博(ハク)」bóと「縛(バク)」fùと「傅(フ)」fùの音符は右上の「甫(ホ)」fŭであり、右上に点がある。何より、「博」という字であっても、本来は右上の「甫」の部分の縦棒が3本下に突き出ている。
 「轉(テン)」zhuănと「傳(デン)」zhuànの音符は右の「專(セン)」zhuānであり、右上に点はなく、代わりに「田」のような部分と下の「寸」の間に横棒があり、さらに右端に小さい一画がついている。

 日本で「專(セン)」を「専」にしたせいで、「博(ハク)」の右側の右上の点を省いたように見えている。これにより、「専」と「博」で、右上に点を打つのはどちらかが漢字学習で問題になる。さらに、「傳(デン)」が「伝」になったせいで、多くの日本人は「傳」の字を書いたり読んだりする機会が少なくなった。そして、「博(ハク)」の左を「イ」にした「傅(フ)」を「傳(デン)」と間違える人が増え、手持ちのパソコンでは、なんと「フ」の読みで「傳(デン)」が出るようになっている(その後、何度か買い換えて改善された)。

 日本での漢字簡略化はかえって漢字を複雑にし、覚えにくくしている。

 日本の本で、昔の文章を引用した箇所で、「傳説(でんせつ)」を「傅説」と書いて、それに「でんせつ」という振りがなを振っているものがある。漢和字典で調べると「傅説」は「ふえつ」と読む。「広辞苑」によると、「殷の武丁(高宗)の賢相(けんしょう<~しゃう)」とある。「説(セツ)」shuōの異読には「税(ゼイ)」shuìと同音で「遊説(ユウゼイ<イウ~)」yóushuìに使われるものと、「悦(エツ)」yuèと同音のものがある。
 一方、中国の即席麺「康師傅」Kāng Shīfu(fu は軽声)がネット上で「康師傳」だったことがある。

 同様に、日本で「惠」を「恵」に、「穗」を「穂」にしている。謝世涯によると、「穗」を「穂」にするのは宋米芾(宋は王朝名かも知れない)『蜀素帖』にすでにあったらしい(『新中日簡体字研究』33ページ)。しかし、現在、中国大陸では「惠」huì、「穗」suìはもとの字体のままである。このhuiとsuiのようなhとsの対応は珍しいが、「慧」huìと「彗」huìの旧読suìの関係にも出てくる。「慧」と「彗」の「ヨ」の中央の横棒が右の縱棒の外に突き出たり出なかったりするが、これは字体というより書体に近いもので、人名などでこのような些細な違いにこだわる必要はまったくない。
 大連の「傅家荘」Fùjiāzhuāngは現地で「付家庄」と書かれる。「傅家荘」のほうが印刷されるのを見るたびに、「傅」が「傳」になっていないか、注意しないといけない。「傅」fùを「付」にするのは珍しい。普通は「豆腐」dòufŭを「豆府」、「芸豆」yúndòuを「云豆」にするように、もとの形声文字の音符を残す場合が多い。「傅」fùを「甫」fŭにした場合、声調が変わるので、子音も母音も声調も同じ「付」にするという事情があるのだろう。
 
於大の方(1528~1602)は晩年、「傳通院(でんづうゐん)」と称した。

www.denzuin.or.jp/

ここでは「傳通院」。これは正しい。

www.burari2161.fc2.com/odainokata.html
於大の方

このホームページで「伝通院」のほかに「傅通院」と書いてある。ここでも「傅(ふ)」と「傳(でん)」を間違えている。

「彗」と「慧」
「彗」の下に「心」をつけたのが「慧」である。
なぜかMS明朝では「彗」と「慧」で「ヨ」の形が微妙に違うが、FangSongのフォントを選ぶとどちらも「ヨ」の中央の横棒が右に突き出ない。MingLiuを選ぶと逆に両方とも突き出る。

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08年10/10


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