廻という字が蝸牛に見えるもんだから。
昨晩は猛烈な耳の痛みに一睡も出来ず、クソと言ってもいいくらい必要以上に忙しいバイトを休む。ただでさえ人員過少のなか、他のスタッフの方々には迷惑をかけたと反省している。今日は耳が痛かろうが、痛みで耳が捥げようが、出勤せねばなるまい。しかしながら、疲れが原因の中耳炎。その諸悪の根源と言うべきバイトに、今日頭を下げて繰り出さねばならないのも、何か空しく感じなくもない。
記憶喪失ってのがある。あれは、本当なのだろうか?
昔昔、人と同じなのが嫌いで、いつも人をアッと言わせることばかり考えていた奴がいて、そいつがちょっとしたイベント感覚で忘れたフリをしてみたら周りが自分の期待通りに慌てふためいた、何ていうおとぎ話が都市伝説化した、なんてことはないのか?
そいつの末裔が、頑張って記憶喪失の普及活動をマスコミ各社に行っているんではないか?記憶喪失という文化が、失われないようにする為に。
忘れたふりをするのは、早く忘れて欲しいからなのか?それとも、自分が違う自分になる為に、昔の自分の記憶を一切消去してしまったのか?
馬鹿馬鹿しいこと、この上ない。何もかもなくして一からやり直したところで今まで経験したこともゼロ、以前と同じ状況に陥った時、結局以前と同じ行動をとるに決まっているんだ。だって、今も昔も、同じ自分なんだから。
輪廻ってのは、死のうが生きてようが、関係なく存在する概念だと僕は思う。地球が回っているのだって、最初の爆発で動きだしたのがずっと止まってないだけ。止めたくても、止めようがないだけなのだから。
永劫逃れられない宿命、蛙の子は蛙、ってやつ。胸糞悪い、実に現実的な世界。そんな社会において、人と違うことをしようとするのは、反逆的ではあるけど、結局空しいことなのかもしれない。
朱に交わらずとも赤い。そういう先天性個性派は、実に得である。
思念を読み取るとすると。
人の考えていることが聞こえるような、逆サトラレみたいな特殊能力が欲しかった子供だった。なぜって、今になって思い返せば、多分誰よりも臆病者だったからだ。
優柔不断なのも、慎重なのも、臆病から来るものだと思う。だから、人の考えていることさえわかれば、判断とか人間付き合いとか、もっと楽になるだろうになぁって、思うような子供だった。
だけど、そんな能力があったとしたら、僕は世界一の人間不信者になっていただろう。人の考えること、すべてが優しくて力強いものだとは限らない。意地汚い欲求だったり、悪口だったり、そんなもんが四方八方から聞こえてきたら、それこそ発狂ものだ。
頭も耳も精神もパンクして、誰も信じられなくなって、僕は誰もいない山奥かどこかで暮らすんだ。それはそれで、自立出来ていいかもしんないな。意外とポジティブ。いやいや、間違ったプラス思考。結局、寂しいのには変わらない。世界一不幸な人間って、ギネスに載っていいくらいだ。
臆病な分、人の顔色をうかがうのは苦手ではないが、好きでもない。だから強がって、無関心であること を装っている。
何を考えているか悟られないようにするのは苦手ではないが、実は大嫌いだ。だからぜひ、臆病者の僕を認めてくれる社会に住みたい。
犠牲バントを人任せにする輩の輪。
僭越ながら、その女性に平手打ちをお見舞いしてやりたいという煩悩を見事討ち払いました。今日は良い日になりそうです。
そんな10月7日は、卒業論文の中間報告会の日です。いまさら何を報告すればよいのか、大いに悩みました。先生、もう知ってるでしょー。時間の無駄ですよ、無駄な作業は省きなさいって、バイト先の店長も言ってるぜ。
久しぶりに卒論を読んでみたけど、何だかほんとに舌足らずで疎い文章だなぁと痛感します。語彙を増やすって大切です。もっと小さい頃に本読んでおけばよかった。
結局、どうやって論を閉じるかに今年も悩まされそうですが、もうそろそろ動きだしてしまえばきっと大丈夫でしょう。ただ、いま大事なのは、動き出す勇気とやる気を見つけることです。
困ったら誰かに助けを求める。これは是か非か?僕は是だと思う。客観的に考えれば、困ってなきゃ助けなんて必要としないんだから。どーしても手を貸してほしいから、頼んでくるのだから。
まいったね、これは一人で強く生きていかなければいけませんな。