40代後半、サラリーマン。

それなりの収入はある。
ボーナスもある。
退職金だって期待できる。

だから、ずっと思っていた。

何とかなる、と。

 

子どもの教育費がかかるのも今だけ。
少しくらい苦しい月があっても、ボーナスで調整すればいい。
急な出費があっても、そのうち何とかなる。

そうやって自分に言い聞かせながら過ごしてきた。

 

だが、その「何とかなる」は、いつの間にか口癖になっていた。
本当に何とかなる根拠があったわけではない。
考えるのが怖かっただけなのかもしれない。

九月上旬。
その夜も眠れなかった。

ベッドに横になり、何度も寝返りを打つ。
時計を見る。
午前一時十五分。
また目を閉じる。
しばらくして時計を見る。
午前二時三分。

眠れない。

胸の奥がざわざわする。

どうしよう。
まずい。
本当にまずい。

頭の中では、同じ言葉ばかりが繰り返されていた。

 

別の部屋で妻が眠っている。
廊下の向こうの部屋では、大学受験を控えた子どもが寝ているはずだった。

家族は何も知らない。
自分だけが起きている。
自分だけが不安を抱えている。

そう思うと、余計に苦しくなった。

 

眠ることを諦めてスマホを手に取る。
ニュースを開く。
動画を見る。

何を見ても頭に入らない。
ただ、不安から逃げたくて画面を眺めていた。

そのときだった。

画面の下に表示された広告が目に飛び込んできた。

――借金減額診断。

思わず指が止まる。

怪しい。
そう思った。
でも、気になった。

もし借金が減るなら。
もし今より少しでも楽になるなら。

そんな考えが頭をよぎる。

しばらく眺めたあと、画面を開いた。
年齢。
職業。
借入状況。

必要事項を入力していく。

気がつけば、一か所だけではなく、三か所のサイトに情報を送っていた。

送信ボタンを押したあと、スマホを胸の上に置く。
少し安心した気もした。
 

だが、それ以上に不安だった。

何をやっているんだろう。
本当に大丈夫なのだろうか。

結局、その夜もほとんど眠れなかった。

翌日。
昼休みが近づいた頃、スマホが震えた。
知らない番号だった。

法律事務所からだった。

胸がどきりとした。

職場で話すわけにはいかない。
和也は慌てて席を立ち、人のいない場所へ向かった。

電話に出る。

いくつか確認事項が続いたあと、担当者が言った。

「現在の借り入れ額を、すべて教えてください」

和也は言葉を失った。

 

借金のことは毎日考えている。
返済日も気になる。
残高も確認する。

だが、総額だけは考えないようにしていた。
怖かったからだ。
現実を直視するのが。

一社目の名前を言う。
金額を伝える。
二社目。
三社目。
さらに続く。

口にするたびに、胸が苦しくなった。
手が震え始める。
声も震える。
自分が抱えている現実が、数字となって目の前に現れていく。

 

――何でこんなことになったんだ。

頭の中で何度も繰り返した。

やがて担当者が言った。

「任意整理という方法があります」

司法書士や弁護士が債権者と交渉し、利息をカットしてもらう方法だという。

 

一瞬だけ希望が見えた。
だが、説明を聞くうちに、その希望は消えた。

和也の場合、月々の返済額が増える可能性が高いという。

無理だ。
今でも苦しいのに。
これ以上は払えない。

 

すると担当者は、少し間を置いて言った。

「そうなると、個人再生か自己破産になると思います」

 

個人再生。
自己破産。

 

ニュースやテレビの中の話だと思っていた。
まさか自分が、その言葉を向けられる日が来るなんて考えたこともなかった。

頭の中が真っ白になる。

すると担当者が続けた。

「ご家族の方とも相談してみてください」

 

絶対に無理だ。

和也は心の中で叫んだ。

子どもは間もなく大学受験だ。
今さらこんな話ができるはずがない。
妻にも言えない。
誰にも言えない。

電話を切ったあとも、しばらく動けなかった。

個人再生。
まさか自分が。

その言葉だけが、頭の中で何度も繰り返されていた。

夜になっても眠れなかった。
仕事にも集中できなかった。
不安は消えるどころか、大きくなるばかりだった。

そんな中、連絡をくれた三つの法律事務所のうち、一つとオンライン面談をすることになった。

 

どうせ結果は同じだろう。
そう思っていた。
それでも断れなかった。

心のどこかで、まだ別の道があるのではないかと期待していたのかもしれない。

面談の日程を決めたあと、和也はスマホを置いた。
窓の外は、もう暗くなっていた。

個人再生。
まさか自分が。

そう思いながら、和也は静かに目を閉じた。