こんにちは、大田です。
随分と久々の投稿です笑
先日開催されたRCS第16戦 川島町クリテリウムクラス3Cに出場してきました。
結果からいうと見事優勝🥇
そして念願のクラス2昇格
ここまで長かった。
本当に長かった。
このレースを逃すと本当に後がない状況で、なんとか踏ん張って首の皮一枚つながった感じ。
当日は、朝から実地研修で三本ローラーを使った講習を受けた。最初は面倒くさいなと思ったけど、為になることも多く、なんやかんや面白かった。
龍谷の山本さんに誘われて近大,立命,大産の選手たちと合同で行った講習は楽しかったし、アップにもなったと思う。
聞いた話では試走は出来ないらしく、あれだけ講習で安全を強調しといてそりゃねーだろって思ったけど、クラス3Aの出走前になし崩し的に一周だけ試走できた。((流石学連クオリティ笑
コースは去年と変わらず田んぼ道。
コーナーも多く、路肩には泥が浮いており、乗り上げるとスリップすることは確実。
さらにコーナーの箇所は特に路面が悪く、グリップをかけにくい。
このコースで注意することは、コーナー明けだと考えた。
コーナー明け毎に、田んぼからはみ出てきた泥の幅が違っているので、前のコーナーと同じ感覚で突っ込むと、泥に乗り上げてスリップする恐れがある。
これは去年経験しており、苦い思い出として残っている。
去年もそうだったけど、コーナーがちょっと難しいので、みんな攻めきれない。特にクラス3は。
このことからコーナーごとに集団が詰まるので、インターバルがキツい。
集団の後ろだと、この影響をモロにくらうので、集団の前で展開しないと足が終わってしまう。
3周と距離も短く、展開も早いと思うので、機敏に動きたいところ。
アップはいつも通り30〜60分くらいをZ3で走って、心拍を慣らしてレースに臨んだ。
整列はゼッケン番号順によばれ、ゼッケン番号は大学の所在地によって北から順に割り振られているので、兵庫が所在地の関学は今大会において後ろから2番目。
当然最後尾に並ばされることになった。
いつもなら先着順だったのに、前に出て展開しなければならない今回に限って強制で最後尾スタート。
その時はかなりイライラしたけど、切り替えてローリングの間になるべく前に上がろうと考えた。
レース開始直前クリートに泥が詰まって上手くハマらないなどアクシデントがあるも、山本さんのお陰でなんとか解決。((感謝!!
ピストルが鳴り、レーススタート
開始直後に脇から前に上がり、ローリングが解除される前に集団の真ん中に割り込んだ。
ローリング解除後、ペースが落ち着いたタイミングで集団の先頭に出た。
ちょっと引いてコーナーをスムーズに曲がれる位置に下がって1周目を終えた。
1周目は緊張していたことと、色々動いたこともあって心拍がかなり上がったので、2周目は集団に埋もれないようにしつつ、休むことを考えた。
危なげなく2周目を完了し、最終周。
位置取り争いも激しくなってきて、自分も埋もれないように動き始めた瞬間、目の前で落車が発生。
左にはロード、右には選手が転がってきたので、回避場所がなく、急ブレーキをするしかなかった。
でも乗り上げることもなく、奇跡的に抜けることができた。
落車を免れた数人に追いつくためにかなり踏んで、なんとか追いつくことができた。
自分以外に落車を抜けれたのは3人で、その内の1人が少し先行している状況だった。
ちょうど周の半分あたりだったと思う。
前の2人も足は残っているのか、そこそこのペースで引いていたので、最終的に先行してる1人は射程圏内に収まると考えた。
先行している選手との差はだんだん縮まってきており、後ろから選手が来ている様子はなかった。
2人に追いつくためにかなり踏んだので、ゴールスプリントにむけて一休みしたかったのもあり、ローテ要求は全て拒否した。
ズルいといえばそうかもしれないが、勝つためには仕方なかったと思う。
前の3人の動きに警戒しつつ、コーナーにも細心の注意を払い、スプリントに備えた。
そのまま状況は変わらず、先行1人の後、3人グループの番手で最終コーナーに入った。
コーナーからゴールまでは少し距離があり、コーナー明けからスプリントが始まるとは正直あまり考えていなかった。
しかしコーナー明けから前の2人が踏み始めたので、慌てて自分もスプリントを開始した。
νバイクのおかげで良い感じに加速し、2人に追いついた勢いでそのまま追い抜き、先行していた選手も捲ってトップでゴールすることができた。
自分の中ではまあまあの早駆けで、ロングスプリントとなったので、最後はかなりしんどかった。
スプリントはパワーデータをみると、数値的にはまあまあ踏めていたので良かった。
およそ25秒のスプリントで、平均パワーは約800W。
自分的にはレースの最後にこれなら上出来。
ゴールした直後はアドレナリンがドバドバで、とりあえず両手でガッツポーズして叫びまくってた。
めっちゃ気持ちよかったです(照)
無事に検車を終え、数時間後の表彰式で念願の1位で表彰された。
自転車を始めて3年弱。
レースで初めて勝つことができた。
しっかりガッツポーズ(のようなもの)もできたし、初勝利としての格好はついたかな笑
正直、勝ってクラス2に昇格できたっていうことに対してその時はあまり実感は湧かなかったけど、遠征から帰ってきてベッドに入った時にじんわり来るモノがあった。
繰り返しだけど、ここまで来るのに本当に長かった。
自転車や練習、レースが嫌いになることはなかったけど、大会の中止など、挫けそうになることは何度もあった。
その度に踏ん張れたのは周りの人達に恵まれたおかげだと思う。
ほんとうにありがとう
4年になっても就活などで忙しくなると思うけど、目標としていたインカレに挑戦することができるので、競技は頑張って続ける所存。
てな訳で来年度もどうぞよろしくお願いします🙇♂️
おしまい。
_____________________________________________以下忘備録 (お気持ち表明あり)
少し本題から逸れる上に長くなると思うけど、
最後にブログを更新した去年6月の草津ナイトから今に至るまでを振り返ってみた。
草津で昇格を逃し、7月にあった白馬の二日間でも両日入賞はしたものの、いずれも昇格は出来なかった。
実力も運もなかったとその時は思っていたし、正直どこかでほっとしていた自分もいた。
他人と自分を比較した順位や成績を気にするくせに、いざ勝負事となったらビビって逃げてしまう。
たぶん負け癖がついていたんだろうなと思う。
周りの知り合いたちが次々昇格し、好成績を収めていくなか、未だに上がれずに、取り残されていることに内心かなり落ち込んだこともあった。
夏休みは、後から思うと決めた日に決めた距離を何も考えずただこなすだけの日々を過ごしていた。
それほど強度が高いわけでもなく、120kmを超えるような距離を走っていたわけでもなかった。
それでも毎週行っていたクリテの練習会ではそこそこ走れていたので、これで充分だと思っていた。
でも夏休みの終盤にさしかかると、練習会で得意なクリテ練でも完走どころか途中で千切れて周回遅れになってしまう。
最初はその時運が悪かったと思ったけど、それが毎週続いて流石に焦りだした。
おそらく今までベースの無さをツキイチで騙し騙しでやっていたのが、周りが強くなっていったのもあり、通用しなくなっていった。
そのこともあり、とにかくベースを向上させる練習を取り入れていこうと考えた。
とりあえず10,20分パワーや、vo2maxを上げることを目標として取り組んだ。
土曜日は阪大の練習会に参加させてもらい、長距離と長めの登りをメインに練習に取り組んだ。
練習会の登りでは、今までは勝てると思っていた1,2年生にコテンパンにされるなど、ワースト1,2の順位を叩き出した。
流石にショックというか、なんというか
まあ中身の無い練習繰り返した結果だけど
そこで一からやり直すしかないと思った。
土曜日はそんな感じで中々の強度でロングを走るようになり、有酸素を鍛えることができた。
それから11月に入ると、だんだんベースもできてきたように思えたので、ためしに思い切ってAACAの1-1に出場してみた。
平坦で102kmのクリテ?を走るレースで、当初はなるべく耐えて少しでも多く走れたらと思っていたが、案外完走できてしまった。
正直かなり嬉しかったし、夏の終わりからの練習の成果が出ていると感じた。
加えて数値という目に見えるモノも向上していったので、モチベがあがって練習に身が入り、一回毎の練習の質が良くなり、能力向上につなげることができた。
このような感じで12月中旬まではある意味良いループに入ることができた。
この間にインカレで"色々"あってその後の大会が中止になってしまい、年内のRCSは無くなってしまった。
出来事の内容が内容だけに"どうしようもない"という言い方は正しくないかもしれないし、こんな事を思うのも凄く不謹慎かもしれないけど、心の中では
徒労感と苛立ち、焦りが色々ごちゃ混ぜになっていた。
1年と2年ではコロナで多くの大会が中止となってきて、3年になってやっと通常通り大会が開催されると思ったらコレ
まあ学連の大会が無くなるのは慣れてるからメンタルのリカバリーも早かったけど。
そんな感じで年明けにある埼玉の2ラウンドと神宮に向けて頑張っていた。
しかし、12月中旬にコロナにかかり、症状にしっかり苦しめられたうえに、1週間は自宅待機となり、練習を中断せざるを得なかった。
後遺症や心肺機能への影響を恐れて、年明けまで本格的な練習を控えた。
発症から3週間後の1月の上旬、徐々に練習を再開していった。
心肺機能のダメージはたしかにあったように思う。軽く走っているだけなのに、すぐにbpmはレッドゾーンに突入し、息苦しくなってしまう。
コロナにかかる前は73あったvo2maxも65まで落ちてしまった。
3週間ロクに乗っていないので、筋力も落ちていた。
2月の埼玉と神宮まで1ヶ月も切っており、それに間に合わせないといけないので、かなり焦った。
そこからはとにかく心肺機能を回復させるために、有酸素トレーニングをメインに取り入れた。
無酸素やインターバルもこなしたかったが、クリテで着争いに参加するには集団前方に残り、尚且つ位置取りする足を残していないといけないので、有酸素を優先した。
突貫工事で進めた練習だけど、埼玉の川島クリテの1週間前にはvo2maxも70まで回復した。
パワーと心肺もコロナ前までとはいかないけど、良い感じに仕上がった。
残りの1週間は無酸素とインターバルをメインに練習した。
ちなみに1月と2月の2回あるはずだった川島クリテの1月の大会は無かったことにされ、大会情報からも消されてた。さらにクラス3は神宮に出ることもできないらしい。もう笑うしかない。
神宮に関して知った時は流石にショックでメニュー中断して寝込んだ。
とりあえず2月の目前に控えた川島クリテにむけて集中するしかないので、次の日には切り替えて練習を再開した。
そんな感じで迎えた川島クリテは上記の通り勝てた訳だけど、それでも神宮クリテに出場することは叶わない。
結局、お世話になった4回生の人達と同じレースを走ることなく終わってしまったことは心残りかな。
↑で色々愚痴とか文句言ったけど、自分が弱いだけだし、実力が足りてなかったからこうなった訳で笑
それでも、大学における自転車競技の普及を考えると、強豪校のように大学から潤沢な補助金やサポートが出ているのであれば大丈夫かもしれない。
しかし、そうでない大学にとっては金銭面やそれ以外の負担が大きすぎる。
大学の自転車競技の普及どころか先細りを加速させているようにしか思えない場面もある。
大学から自転車競技を始めようと考えている人に対して敷居を上げるようなことしかしていないように思える。
直前になっての大会中止や、コミュニケの杜撰さ、訳の分からない規則を追加するなど例を挙げればキリがない。
中には「開催される大会があるだけ学連に感謝するべきだ」というような意見があるが、自分はそれに完全には同意できない。
確かに大学としての大会を開催してもらっていることには感謝するべきだと思うが、だからといってそれ以外の連盟の杜撰な点が正当化されるわけではない。
あくまでも"マイナースポーツ"だから許されている部分もあるのかもしれないが、その先に競技の繁栄は存在しないと考える。
ここまで色々言ったけど、連盟も少ない資金の中で頑張って運営しているのはわかっているし、この先も競技がどんどん広がっていってほしいと思っている。
でも現状では、一から競技を始める人にとって、学連だけに大学の4年間を注ぎ込むには負担も大きく、不安要素が多すぎるように思える。
来年度はコロナ以前のように大会が開催されるようなので、学連の盛り上がりを期待したい。
学連以外にもホビーレースやJBCFなど、自転車競技の楽しみ方は色々あり、当団体はサポート含めて幅広く活動しているので、少しでも興味がある人はぜひ一度連絡してほしいな。
ここまで読んでくれてありがとう!
これからも精力的に活動していくのでよろしくお願いします🙇♂️
それでは👋