逆廻り32日目 2024年4月28日
15.0km 3h12m

7:43 南部駅
8:46 芳養王子 5.0k
9:25 出立王子 8.0k
10:35 万呂王子跡 13.7k
10:55 紀南病院 15.0k

今日は朝から快晴。気持ちよく歩ける。

南部の市街地を抜けて、国道を歩いたり、国道に沿った旧道を歩いたり、時々海を見ながらで、気持ちいい。




芳養王子を超えると、白浜や串本まで見える海岸に出た。







田辺の手前に海岸松林があった。

ハルゼミが盛んに鳴いていた。

出立王子


ここから、中辺路。海岸部から紀伊山地、熊野へと入っていくことになる。

しかし、その前の秋津王子と万呂王子について。
秋津王子は見つけられなかった。区画整理され、新しい住宅が立ち並ぶ辺りにあるようだが、なぜこんなところに?
万呂王子は、左会津川の河川敷のようなところの梅林の中に、「万呂王子跡」と標柱があるだけだった。そういえば、5年前も探したけど、分からずじまいだったのを思い出した。


そこで、秋津王子と万呂王子について推察した。
王子社は、一里塚の役割もあったと思う。少し小高いところに、それなりに樹木を植えられていたのでは。ところが、秋津と万呂は、全くそのような雰囲気がない。近世以降に、人為的に大規模に土地が改変、または開発されている。秋津の辺りは区画整理もしくは農地造成されたよう。
たぶん、明治か昭和の初め頃、大規模な洪水(左会津川の氾濫)で、一体が水害になり、人家も王子社も流されたのでは?大規模水害といえば、明治29年、熊野本宮社が流出した時の水害かな。後でネットで調べると、当たっていた。

今回は、家に早く帰りたかったので、巡礼路はここで離脱。紀伊田辺駅まで行くアクセスが非常に悪く、山の上に、新たに建てられた紀南病院まで歩いて、そこからバスで、紀伊田辺駅へ行くことにした。

紀南病院まで、新たに付けられた広い2車線の道路を登っていくと、紀南病院の入り口近くになると、突然歩道に点字ブロックが付けられていた。周りには何もない。道路法面だけ。異様な黄色い線に見えた。病院前だけ展示ブロックがあってもなあ、、と思って病院の正門前に着くと、病院へ渡る横断歩道はなかった。もっと先、数100m行くと、あるのかも知れないが、なんとも歩行者のことを考えてない設計だな。





紀南病院にはバス便が1日10本以上あって、市民のためにサービスしているのだろうが、先ほどの展示ブロックのように、余り信用したくないな。最先端設備や医療技術が整ってるので、安心してくださいって、言ってるのだろうけど、、。病院に頼るのだったら神仏と自分自身に頼って、生きて生きたい。

紀伊田辺駅で、南方熊楠が紹介されていた。彼が廃仏毀釈や王子社などの合祀に反対したのは、残されていた社寺林や鎮守の森などの自然が失われるためと、解説されていた。しかし、それだけではないだろう。王子社や祠、道端の地蔵まで、庶民の魂や祈り、儀式、風習といった精神性の喪失に繋がることに反対したのだと思っている。今回、特に各王子社を訪れてそう確信した。


田辺の道分かれ道標。

紀三井寺まで、100km以上、4日。