今日は桃の節句 想いに寄り添うということ | KGC塾長 楢原貴士のBLOG

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本日、3月3日は母の誕生日なんです。

うちの家は昔から家族の誕生日を祝う
という習慣が無かったため、
父の誕生日のも母の誕生日も
特に「おめでとう」とも言わずに普通に過ごしていました。

小学生の時に小遣い制が導入され、
プレゼントを買ってあげたくて、
弟と一緒によく行ってたファンシー文具店で
ピンク色のウサギの絵が描かれた
湯呑を買ってあげたのですが、
嬉しかったらしく、ずいぶん長い間使ってくれていました。

さて、そんな母ですが、
元旦に亡くなり、葬儀を行い、
中学受験、私立高校受験を終え、
あっという間に時間が過ぎ去り。
2月12日に四十九日を終えました。

四十九日を自宅で行うことにしたため、
葬儀の翌日から、実家の片づけを始めました。
父が弱ってきていて、いろんなことができなくなってきてるため、
母が支えてくれていました。
それらのことも引き継いでしなければいけないため、
役所に行ったり、書類を郵送したり、
司法書士の先生にお願いしたり、
銀行に行ったりと、まだまだいろんな手続きの途中です。

銀行に、母が生まれてから亡くなるまでの戸籍謄本を要求されました。
父の本籍の役所にその旨を伝えて、郵送してもらったのですが、
母が楢原家に入籍する前の戸籍も必要ということで、
また別の市役所に資料を請求するなど、
わりと時間がかかりました。
そういった手続きの中で、
私が知らない母のことがいろいろとわかってきました。

昭和21年3月3日生まれ。
祖父は陸軍士官学校を出て出征し、
帰国後は名古屋から大阪にやってきて
南海電鉄に勤めていました。
大阪に来たばかりの頃は、八尾の山本に住んでいて、
母も叔父(母の弟)もそこで生まれたそうです。
百舌鳥八幡駅の近くの芦ケ池住宅を
南海電鉄が分譲した時にわりと広めの平屋を購入し、
そこが私の「じいちゃん家(ち)」で母の実家でした。
祖母(母の母)には私は会ったことがありません。
母が25歳の時に癌でなくなったそうです。

四十九日に向けて、母のモノをいろいろと整理していくうちに
母が生まれたころのアルバムが見つかりました。
じいちゃんの字で写真を撮った場所や
イベント名が書かれています。
そしてその字が中学生時代から母の字に変わります。
私が中学生になるくらいまで、
そのアルバムはきれいに整理されていました。
高度経済成長期に、高校生になり、
短大に進学し、服部時計店に就職してOLをして、
結婚して寿退社して、専業主婦として
二人の男子を育てながら、社長夫人もしていました。
私は社会科を教えているので感じるのですが、
まるで昭和戦後の歴史を学ぶかのようなアルバムです。

アルバムを見たり、家に残されたものを眺めたりしながら、
こんなふうにしたかったのかなぁ?
こういうことをしてほしかったのかなぁ?
と、寂寥の思いが積もります。
今の私を見て、どのように思っていたのだろう?
と思いますが、本人を目の前にしたら
そんなことを尋ねたりは絶対にしません。
ただ、アルバムの中の、弟と一緒に近所で遊んだり、
家の前で撮った幼稚園の入園式、
中学校の入学式などの写真を見ていると、
とても大切に育ててもらったのだなぁと感じます。

大切に愛情込めて育ててもらった、
そんな自分自身を好きになること、
そんな自分自身を大切にすることが
親孝行なのだろうと思います。

本当に急に逝ってしまったけど、
そういう意味では「お母さん、僕は丈夫ですよ。」
四十九日の仏前でそんなことを思っていました。