今年で12年 | KGC塾長 楢原貴士のBLOG

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12年前に高校に入学した子たちは
今はたいていが結婚する時期になる。
KGCができた時に中3だった生徒たちは
今そんな感じだ。

12年前に生まれた子は小学6年生になる。
当時お祝いを贈った友人の赤ちゃんは
今再会しても誰だかわからないだろうな。

12年前にはまだグランフロントはできていなかった。
このころは、まだインバウンドという言葉は
メジャーになっていなかった。
まだ日本のGDPは世界第2位だった。

 

そういえば、最近は生徒同士でも
苗字ではなく名前で呼び合うことが多いようだ。
それも男女関係ない。
女子の生徒が「なおと」と普通に呼び、
その生徒も「よしの」と普通に呼ぶ。
うんと小さいころから家族ぐるみで
仲良くて、名字で呼んだことが無いとかじゃなく、
わりと知り合ってすぐにファーストネームで呼び合う。

結構前からそんな感じだったんだけど、
改めて、いい関係なんだろうなと感じる。

先週の保護者面談の時だった。
その生徒の名前は「かずゆき」という。
漢字で書くと「和之」になる。
実は僕の弟は「和行」という名前で、
字こそ違えど、呼び方はいっしょだった。

塾内では、僕は兄弟姉妹がいる生徒は、
苗字で呼ぶとややこしいから、名前で呼んでいる。
また、五箇荘地区は松本や三好、
義経という苗字が固まっている地域があり、
こういった苗字の生徒は名前で呼ぶことになりやすい。

年頃の女子の生徒になると
「おっさんに名前で呼ばれるのが気持ち悪い。」とか
「なんで私は名前で呼んでくれへんの?」
というのがあり、ややこしいから
自分の中ではそういうルールにしている。

だから「和之」と呼んだことが無かった。
先日の保護者面談の時に
「身内に不幸があり、次の〇日と△日は
 お通夜とお葬式なのでお休みします。」
と言われた。
その時に、「そうか11月だったな。」と思った。
僕の中では11月はよく人が亡くなる。

祖母と弟も11月に亡くなった。
先週は、通っていた中学・高校の
当時、教頭先生から校長先生になった方が
お亡くなりになった。
その他にも11月にはお葬式に呼ばれることが多い。

その保護者の方に、
「11月って私の祖母も、弟も亡くなってるんですよー。」
「今年の11月は少し寒いですよね。
 急な気候の変化って年取るとしんどくなるみたいですね。」
「実は『かずゆき』は私の弟の名前と同じなんです。
 落ち着きがなくて叱られるところや、
 かまってほしがるところとか、
 ちょっと正義感が強くて融通が利かないところとか
 私の弟とよく似てて、本人には言わないですけど、
 実は、ホントに見ていて可愛くて仕方ないんですよ~。」
と一方的に話してしまったが、気づくとそのお母様は
涙を拭いていらっしゃった。

そのお母様は僕と同い年だ。
塾生の『かずゆき』は次男で、長男は
奈良県の私立高校に通っている。
『かずゆき』も同じ学校を目指しているのだが、
ひょんなことから来週、僕はその学校へ
校内予備校事業の営業に行くことになった。

最近始めた有料教育相談は、
来週も3件の予約が入っている。
塾生を指導する、校内予備校の生徒を指導する。
スタッフを指導する。こうした日々のことに加えて
新しい僕の役割を与えてもらっている。
こちらも全力で頑張りたい。

有料教育相談で
友人の紹介で来られたとおっしゃっていた方。
ウチの塾生の保護者と意外なつながりがあった。
いろいろと複雑に絡み合いながら、
人って、人とのつながりの中で生きているなぁと実感する。

これからもいろんなところで繋がりを
増やしていくことになるのだろうけど、
その一つひとつの機会を大切にして
関係を温めることができればと思う。

何気なく発した
「(『かずゆき』を)見ていてら可愛くて仕方ない」
という言葉、面談を終えた後で思い出した。
他の保護者の方から
「他人に我が子が可愛いと言われることが嬉しい。」
と言われた。
残念ながら僕にはまだこの気持ちは理解できないけど、
人が生まれてから、それぞれの家庭や
学校、地域や会社など、
それぞれの社会を構成する「人」になる過程で、
他人に可愛いと言われることが、
育てている親にとっては、社会に受け入れられる
第一歩だと感じるのかもしれない。

だから、親は子供を叱るのだ。
そんなことしていたら社会に出て通用する人になれないと。
親が「こう育ってほしい。」
「こんな人物になってほしい。」
と願えば願うほど、子供に要求してしまう。
けど、子供は親の言う通りにはならない。

親の言う通りにはしないけど、親がするようにする。
気がつけば、親と同じクセを身につける。
気がつけば、親と似たような字を書くようになり、
ズボンのポケットに穴が開くのは父のズボンと同じ場所。
掃除のしかたも似ているし、
独り暮らしを始めても、気がつけば
同じように部屋は散らかっている。

いつ頃だったか忘れたけれど、
僕は母に似てきているのだろうと思っていた。
そう感じるようになれば、親の気持ちも理解できる。

小学生、中学生の子供に叱っている、
または怒っている親の気持ちは
子供には理解できないだろうと思う。
理解できるようになれば、ずっと親子関係はよくなる。
けど、親が言ってもなかなか伝わらない。
「お母さんがどんな気持ちで言ってるかわかる?」
と聞いても、教科書通りの答えを子供は探すだけだ。
わかりたくもないだろう。
わかろうとする子や、わかっている子は
そもそも親とそんなにぶつからない。

生徒との面談では、僕ができるだけ
親の気持ちを代弁するようにしている。
保護者の皆様には、我が子の一番のファンになり、
応援団になってほしい。分かりやすく言えばそう事だと思う。
ファンや応援してくれる人はとてもありがたい。
大切にするに決まっている。
最近の面談ではこんなこともお伝えした。

弟が亡くなって12年が経ち、
その間にも親しい人との別れがあり、
尊敬する人との別れもあり、
親もどんどん老いていき、
僕もそれなりの年齢になった。
今願うのは、僕が関わる人すべてが
今より心地いい場所を手に入れられるように、
多くの人に自分の身に着けた能力が役立てられるよう、
また、さらに成長を続けていきたいということ。

もうすぐまた歳を重ねるけど、
みなさんの明日やそこから続く未来が
楽しく、わくわくする日々でありますように。