kfutabaのブログ -13ページ目

kfutabaのブログ

ブログの説明を入力します。

日本はではよく「唯一の被爆国」という言葉が使われますが、それは事実なのでしょうか。

私は常々、その言葉に疑問を感じてきました。

 

戦争で、つまり直接人びとを殺傷し、街を破壊する目的で核兵器が使われたのは、歴史上1945年8月の広島・長崎の2発だけです。

ですが、それに先立つトリニティ実験以降、世界各地で核実験が行われ、それによる「被爆者」が世界各地に存在しています。

 

そこで「唯一の戦争被爆国」という言葉も使われるようになりましたが、この言葉にも私は白けるものを感じます。

原爆の被害に遭ったのは、実存する「人びと」であり「街」であって、「国家」などという抽象的な存在ではないからです。

広島や長崎で原爆の被害に遭ったのは、いわゆる「日本人」だけではありません。当時は建前上「日本人」という扱いになっていた、朝鮮半島の人びとが多く含まれています。戦後、日本政府は「被爆者に対する支援」から朝鮮人を除外してきました。

 

そして何より、核廃絶への道を妨害する、日本政府の一貫した姿勢です。日本政府は「唯一の被爆国」という言葉で、さも日本が核廃絶に対して発言する特別の権利があるかのように装いながら、実際には核廃絶を「究極の目標」として棚上げし、現実の廃絶を遠ざける役割をずっと果たしてきました。

 

世の中には「被爆国だからこそ核兵器を持たなければならない」などという、とんでもない発想も存在します。たとえ被爆者の痛みに共感しても、それが「核兵器は廃絶すべきだ」という発想に繋がらず、むしろ逆になってしまう人さえいるのです。過去、署名集めなどで対話するなかで、そういう

 

それを痛感したのが、2020年にツイッター上で実施された、NHK広島による「ひろしまタイムライン」という企画です。

「もし75年前にSNSがあったら」という仮定のもと、実在した3人の日記をベースにしたツイートを75年差のリアルタイムで流す、というものでした。

 

当初は「被爆の痛みを含め、生身の人間が一発の爆弾で人生をねじ曲げられてしまう過程を共感をもって感じられる企画だ」と好意的に見ていました。ところが、朝鮮人を蔑視するツイートがいくつか投稿され、そこから派生してたくさんのヘイトスピーチが投稿され、それに対して批判が起きました。

 

詳しい経緯は乗松聡子さんのブログにまとめられています。

https://peacephilosophy.blogspot.com/2020/08/nhknhk-hiroshima-please-delete-tweets.html

 

 

現在は該当ツイートは削除されているようでアクセスできなくなったのですが、1ヶ月ぐらいは残っていたと思います。

 

私は「唯一の被爆国」という言葉が、日本の戦争被害に目を向ける一方で、加害責任から目を背ける役割を果たしてきたのではないか、と感じました。

 

乗松さんのサイトに寄せたコメントを、こちらにも転載しておきます。

 

【被爆ナショナリズム】
歴代日本政府は「唯一の被爆国」という言葉を使い続けてきました。世界中には核実験による被爆者がいるにもかかわらず、それを無視する言葉です。同時に、広島・長崎で被爆した「日本人以外の人」を無視する言葉でもあります。その多くは朝鮮人です。労働者として連れてこられた、あるいは仕事を失ったために食い扶持を失った人が渡ってきたから、多数の朝鮮人が被爆したのです。
歴代日本政府は徹底して戦争の加害責任から逃げてきました。そのもとで、不充分とはいえ伝承されてきた被害体験にくらべて、植民地支配や侵略といった加害の歴史はどんどん風化させられてきたのではないでしょうか。そういった背景が今回の問題に繋がっていると思います。
広島の被爆について描いた「はだしのゲン」では、当初から主人公の身近に朝鮮人がいて、差別の様子も描かれています。終戦後に朝鮮人の横暴な姿も描かれますが、それは「日本人による苛烈な朝鮮人差別」の中で起きた部分的な反発として受容されています。しかし、そういう表現でさえ、一部を切り取って「こんな横暴な朝鮮人がいたのだ」と差別のネタに使う不届き者たちが現れるのです。ましてストーリーのない、個別の短文で当時の状況を伝えるには、より慎重な表現が必要であることは言を俟たないでしょう。
NHK広島の弁明を読むと、問題とされているツイートから派生して吹き荒れているヘイトスピーチに対して全く危機感を持っていないことがわかります。削除せずに放置すればするほど被害は広がります。この日本社会において朝鮮・韓国人差別に目を向けないことは、植民地支配から繋がる歴史を無視する「歴史修正主義」の立場でもあります。核兵器廃絶を目指す私たちは、特に日本に関わりのある者は、被爆の実相を継承すると同時に、それがナショナリズムに陥らないよう努力を続ける必要があると思います。

核兵器禁止条約がいよいよ発効を迎えます。条約を議論する会議で、日本が空席にしたテーブルに「wish you were here」(あなたがここにいてくれたら)と書いた折り鶴が置かれましたが、世の中は日本を置き去りにしながらどんどん進んでいきます。日本がどこかで「追いつこう」という方向に転じるのかどうか、それはこれからの私たちにかかっていると思います。