知力とは何か。人間各々が有している脳の働きに、身体機能と同様、それほど差異があるとは思えない。四肢の働きの差異以上に、脳の働きの差異について天に不服を訴えるべきではないのだ。問題は気質や志向の相違のほうにあり、環境への適応性のほうにある、と言うべきだとぼくは思う。そしてそれ以上に、いわゆる知力を量る方法のほうに。その与えられた方法への適応に特化できた者たちが、いわゆる優等生組であり、既成の社会組織から方法的に優越性を承認されているだけの者たちなのだ。想像するほど甚だしい差異が、知力に関して人間相互の間にあるわけではないだろう。まさにデカルトの言に倣って言えば、与えられた良識に関しては人は不服を殆ど言わず、問題は良識の導き方、指導のほうにあるように。

 頭の良い人間の精神状態はどういうものなのだろう、と想像したりなどせず(想像するよりも多分ひどいものだろう)、地道にじぶんの精神を開発する努力を継続することで宜しとすべきだ。努力に勝る天才無し、の意味は、そのあたりにあるだろう。