ぼくは、以前は今から見るとじぶんの欠点だったものを、誇る気持がある。その欠点無くしては、いまが無いからだ。その欠点は、ぼくの純粋さから生じたものだったから。純粋さの弁証法というものがあるのだ。ただしこれは、純粋な者のみの弁証法だ。ジャン・クリストフのそれであると言ってよいと思う。ただし、欠点を誇ってくれては困るような性格の者というのはある。ぼくの欠点は幸い、そういう欠点ではなかった。欠点の純粋さそのものによって自己修正していった(だから今がある)。ぼくをそういう者と分けたのは、ぼくの(意識力たる)知性である。

 

いささか誇らしく言ったが、このくらいのことを言うのはぼくには許されるし、正当だと思う。