この世の裏側のどういう決め事なのか、単なる快適さには或る税がかかるらしい。これを避けるには、いつも渋く重々しく構えて感じたり考えたりしているに如くはないような気がする。税というのは、ストレスで、この世の裏側の存在は、何か筋を通してするのではなく、時々じぶんたちの気散じ的欲求から、人間のストレスを、清涼飲料水のように求め、その口実を設定しているのにすぎないようだ。あたかも、調子よい言動には戒めの罰があるかのように。しかしこれは常にそうであるようには思えない。だからかれらの気散じだとぼくは言ったのだ。そういうことがあるときには、かれらの気晴らしに遭遇しただけの災難だったと遣り過ごし、予防策としての「渋く重々しく」を心掛ける普通の生活トーンを持続させるのがよいだろう。

 

 

これに気づいたのは、変な一致が重なったからで、集合容喙現象の名残りだろう。 予防策はひとそれぞれでよい。