『渇き』La Soif 三幕劇 ガブリエル・マルセル作(1938) 

 「序文」ガストン・フェッサール

                           

 古川正樹 訳 2024. 3. 5~ (7. 21より公開)

 

 

登場人物

 

アメデ・シャルトラン、50歳

アルノー・シャルトラン、24歳

アラン・ド・ピュイゲルラン、23歳

 

エヴリーヌ・シャルトラン、34歳

ステラ・シャルトラン、20歳

マダム・シャルトラン、72歳

マダム・ド・ピュイゲルラン、48歳

マドモワゼル・フルー、60歳

マギー・ランベルサール、32歳

 

 ___

 

(p.123)

 

第一幕

 

田舎家の中の大部屋、パリから百キロメートルの処。

 

 

第一場

 

シャルトラン夫人、ステラ

 

シャルトラン夫人 (騒がしく)私の目! 私の目!

 

ステラ (落ち着いて、彼女に眼鏡を差し出し)ほら、おばあさん。

 

シャルトラン夫人 ありがとう、おまえ。(机上で模造革製の手帳と鉛筆を取って)聴きましょう。

 

ステラ (読む)《マダム・F.、三人の子供と共に未亡人のまま、その長男は六歳…》

 

シャルトラン夫人 番号を。

 

ステラ 五百七十八。

 

(p.124)

 

シャルトラン夫人 再び始めて。

 

ステラ 《マダム・F.、三人の子供と共に未亡人のまま、その長男は六歳、彼女は現在完全に窮迫した暮しを送っている。彼女は失業補償金を請求する資格を有していない。飲酒癖のある夫は…》

 

シャルトラン夫人 彼女は未亡人なのだから!… 下手に作成したわね。

 

ステラ 《彼女をたまたま出迎えた車で定刻に駐車せず…》

 

シャルトラン夫人 分かったわ。アルコール中毒者の一家ね。大したことは期待できないわ。五フランよ。(記入する)

 

ステラ でも、おばあさん…

 

シャルトラン夫人 次の人。

 

ステラ (読む)《マドモワゼル・Y.…》

 

(p. 125)

 

シャルトラン夫人 五百七十九と言いましょうか?

 

ステラ 《…生まれつき聾唖で、視力を失いつつある。》

 

シャルトラン夫人 関心が持てるわね。ゆっくり読んで、ステラ。

 

ステラ 《彼女は現在まで、遠い親戚の一女性の金銭的支えのおかげで生きてきたが、この女性は財産上の失敗で今日、彼女の必要事に援助を与えることがもう長い間できなくなっている。マドモワゼル・Y.はその上、関節リューマチに掛かっており…》

 

シャルトラン夫人 絶望的なケースね。どうすることもできないわ。彼女にしてあげられる最良のことは、少しばかりの青酸カリをあげることでしょうね。

 

ステラ おばあさんったら!

 

シャルトラン夫人 効果は覿面(てきめん)よ。そういうことになるでしょう、私を信じて。ひっくり返されるべき思い込みはまだたくさんあるわよ。

 

(p.126)

 

ステラ これが思い込みだとは私は思わないわ。

 

シャルトラン夫人 お前は全然、社会的感覚が無いわね、私のかわいい子。私がそのことに気づいたのは、これが最初ではないわ。その上、お前たちは全員、ここでは反動分子だわ。さあ、次の人。

 

ステラ (読む)《ムッシュー・N.、ドイツの亡命ユダヤ人…》

 

シャルトラン夫人 私は彼らの委員会に十フランあげたわ。重複になるわね。

 

ステラ 《マダム・C.、三人の子供と一緒に未亡人でいて…》

 

シャルトラン夫人 またなの!

 

ステラ 同じ人ではありません。《彼女を援助しなければ、彼女は子供たちと離れ離れにならなければならないことになるだろう。》

 

シャルトラン夫人 曖昧すぎるわ。(アメデが奥のドアを開けて突っ立っている)

 

(p.127)

 

ステラ (読む)《彼らは現在、小さな中庭に面する不健康な一部屋で生活しており、三人の子供は同じベッド寝ている。》(アメデの小さな咳。ステラが振り向く)どうしたの? パパ。

 

アメデ (間を置いて)不幸の選集は好きじゃない。(外へ出る)

 

シャルトラン夫人 あんたのお父さんは何と言ったの? よく聞こえなかったわ。

 

ステラ (気詰りして)報告書に関してひと言… おばあさん、それが何かの役に立つと本当に思っているの? 私たちがここでしていることが。

 

シャルトラン夫人 何ですって?

 

ステラ ふるいにかけることで… 私には分からないわ、この不幸な人たちみんなのことを思うと… 恥ずかしいわ…

 

シャルトラン夫人 自分の想像に自分を委ねると、負けよ。慈善は、距離をとって閑暇でやらなくちゃ、出来ないわ。

 

(p.128)

 

ステラ ええ、でも… それは多分もう慈善ではないわ。

 

シャルトラン夫人 顔色がわるいわよ、おまえ、いつもの水曜日のようではないわ。何かがあるの? ねえ、ステラ、おまえが知っているように私は隠し立ては好きじゃないのよ。

 

ステラ 全然何もないわ、おばあさん、ほんとうよ。

 

シャルトラン夫人 そうなら、続けましょう。

 

 

第二場

 

同じ人物たち、エヴリーヌ

 

 エヴリーヌ、様々な物を持ち上げている。紛失した何かを探しているのが明らか。

 

エヴリーヌ すみません、お母さん。どうぞそのままで。

 

シャルトラン夫人 (嫌味な様子)(p.129)真面目な仕事を毎秒毎に中断されるんじゃ、どうしてくれようっておつもりですか? エヴリーヌ。

 

エヴリーヌ (ステラに)ねえおまえ、ひょっとして私の書物を見なかった? じぶんでどうしたのか覚えていないのよ。

 

ステラ 多分、きのうの晩、庭にそのまま放っておいたのかも。

 

エヴリーヌ そう思ってるの? (マダム・シャルトランの激昂した様子を見る。ほくそ笑んで) ばかげてるわ。

 

シャルトラン夫人 ともかく、うるさいわ。あなたにとって時間は何の価値も無いようね、エヴリーヌ、妙なことだわ。きのう、私は計ったのよ、あなたは十八分、捜すのに費やしてたわ、あなたのハンカチを、手袋を…

 

エヴリーヌ ありうることよ。

 

ステラ 私を許してちょうだい、おばあさん…

 

シャルトラン夫人 (刺すように)どうして?

 

(p.130)

 

ステラ つまり… おばあさんには私は必要ないわ。

 

シャルトラン夫人 (嫌味な様子で)私の目は、あんまり薄くて細かに印刷されたこのテクストで消耗しなければならないのよ… それにお前は、眼科医が私に言ったことを知っている。でもお前にはそんなことどうでもいいのよね… せめて為替を郵便局に出してくれることを、お前に期待していいかしら?

 

エヴリーヌ それはローザが引き受けますわ、お母さま。

 

シャルトラン夫人 考えてらっしゃらないのね、エヴリーヌ。私の慈善活動は召使と関わりは無いわ。(激怒して出てゆく)

 

第三場

 

ステラ、エヴリーヌ

 

ステラ かわいそうなおばあさん!

 

エヴリーヌ ええ、お母さんはこのところ、たいへんひどくなっているように、私には思えるわ。

 

(p.131)

 

ステラ おばあさんのことを病人みたいに話すのね。

 

エヴリーヌ お母さんはとてつもないヴァイタリティーを持ってるわ、それに加えてね。

 

ステラ ほんとうに。

 

エヴリーヌ 他の面では完全にミイラになっているある種の人間たちに特有のヴァイタリティーよ。

 

ステラ ミイラになっている?

 

エヴリーヌ 心が無いということよ、それがすごい仕方で続いているということね、ステラ、私の言うことを信じて。たとえばお父さんよ。愚かな波瀾も無く、百年死んだままだろうと、私は確信しているの。

 

ステラ 彼は人生を愛していたのかしら?

 

エヴリーヌ 言うのは難しいわね。人生を愛するというのは、まだ一種の寛大さよ。それは(p.132)皆に与えられているものではないわ。彼は自分の本や無用の書類に執着するように人生に執着していた… 彼については話さないようにしましょう、私のかわいい猫ちゃん。そのほうがいいでしょう。

 

ステラ で、お母さんのお母さんは? 彼女のことは、お母さんはほんとに殆ど話さないのね。

 

エヴリーヌ ママは、別よ。ママは自分を浪費したわ、先ず、ママの母親のために、母親のところで。彼女は地獄のようだったの。それから、ママの夫のために。彼はママを殺したわ。

 

ステラ まあ!

 

エヴリーヌ ゆっくりと、丹念にね。

 

ステラ どういう意味なの? 殺したって。

 

エヴリーヌ 花瓶のなかの花よ… もし、花に水をやることを入念に怠ると…

 

ステラ なんてひどい!… それで、彼は、何の… 後悔も、一度もしなかったの?

 

(p.133)

 

エヴリーヌ つまり彼は、彼女の死を、個人的な侮辱みたいなものと解したのよ。

 

ステラ (一時の後)私はしばしば思ったわ、私たちがシルヴァプラナに居た年に、お母さんがシルヴァプラナに来なかったら、何が起こっただろうって…

 

エヴリーヌ もし私があなたたちと出会っていなかったら、ステラ、私は発っていたでしょう。私は発つと決心していたのよ。私、問い合わせて知っていたの、無給働きでウイーンに行けることを。フランス語のレッスンを提供して… 何も、誰にも、お世話にならないように。

 

ステラ お母さんは、お母さんのお父さんと、ためらうことなく別れたろう、ということ?

 

エヴリーヌ 少しのためらいも無くね、お前…

 

ステラ そして後になって、お母さんは自分を咎めることになったのではないの?

 

エヴリーヌ 小さなことにこだわってるのね! 何の咎めることも無いわ。

 

ステラ 私たちは似てないのね。

 

(p.134)

 

エヴリーヌ さいわいなことにね、お前。

 

ステラ 誰のためになるから?

 

エヴリーヌ おそらく、お前のためにね。ほかの人々のためには間違いなくなるわ。

 

ステラ (自分の考えを追って)で、私たちは、もし、お母さんと出会っていなかったら、私たち三人は… パパが現在通過している困難な幾週間のことを考えてちょうだい… お母さん無しでは!… パパにはそのような必要が、理解される必要があるのよ。人は時々、それと気づかずにパパの心を傷つける、あるただの言葉を言うだけで — あるいはその言葉を言わなくても。

 

エヴリーヌ (優しく)そういうことを心配してはいけないわ、私の言うことを信じて。

 

ステラ お母さんはいつも、何が重大なことか、何が重要でないことか、判別する術を心得ているのね。アルノーみたいに…

 

エヴリーヌ (悲しそうに)お前の兄さんと私とでは、たいへんな違いがあるわ、ねえ、それを忘れないで。

 

(p.135)

 

ステラ よく分かっているわ。アルノーにはとても安泰でいられる運があるわ、とても…

 

エヴリーヌ ええ… でも、彼の運のことを話すと、彼に迷惑がかかるわ。人の持っている運というものは、いいこと、その運を人は危うく失うところであったものなのよ。運はあなたたちから去ることもあるのよ。

 

ステラ それはほんとうね、自分の信仰を持たないアルノーなんて、考えられないわ。それはもう彼ではないでしょう。彼はもういないでしょう。

 

エヴリーヌ だけど彼はそのことについては決して語らない。まるで、素晴らしくて彼にだけ見えるものを抱えている人間みたいに。他の人々は彼の目の中にだけ、それの反映を認めるように、彼はしたのよ。でもそれだけでも、もう充分なくらいよ。

 

ステラ 彼といつも一緒に生きてきたので、もうそういう独り隠しはほとんど通用しないわ… それどころか時々煩わしいくらいだわ。

 

エヴリーヌ 気掛かりなことがあるのね、ステラ、私すぐに気づいたわ。(沈黙)

 

ステラ (息苦しそうな声で)そのことについては私、話さないほうがいいと思うの。お母さんにさえもね。

 

(p.136)

 

エヴリーヌ 好きなように、お前。

 

ステラ お母さんは解ってる… (言うのをやめる)

 

 

第四場

 

同じ人物たち、アメデ

 

アメデ (半ば目を閉じて話す)私たちの間に誤解があることは、私は望んでいないからね。(ステラに)お前はひょっとして、私がさっき言った文句を母さんに繰り返して言ったのかい?

 

ステラ どんな文句のこと? パパ。

 

アメデ 不親切だよ、自分自身の言葉を引用しなくてはならないなんて。お前は私にそういう退屈なことを強制してはいけないだろうに。

 

ステラ 誓って言うけど、私は全然思い出さないわ…

 

アメデ (沈黙の後)私の紙くず籠を空にするのが忘れられて二日だ。お前の役だと思っていたよ、ステラ。

 

(p.137)

 

ステラ そういう決まりは無いと思うわ。

 

アメデ それは遺憾なことじゃないと?

 

ステラ あ! いま分かったわ。パパは、自分は不幸の呪術は好きじゃない、と言ったのよ。

 

アメデ (とても苛々として)選集だよ、選集。私がそう言ったからといって、それは、お前たちが慈悲をもってその選ばれた漂流者たちを精査するのを非難しているのでは全然ないよ…

 

エヴリーヌ アメデ!

 

アメデ どうした? たぶん自然なことだろう、とても若い人々が、あるいは、何とまあ!私の母のような高齢の人々が…

 

エヴリーヌ (ステラに)マギーは電話して来ないの?

 

ステラ 知らないわ。言いかけてたわね? パパ。

 

(p.138)

 

アメデ (エヴリーヌに)お前には、自分たちの言葉を中断するかなり面食らわせなやり方があるようだね、エヴリーヌ。マギーとは誰だ?

 

エヴリーヌ 誰だかあなたは完全に分かってるわ、アメデ。

 

アメデ それでも私は、マドモワゼル・ランベルサールのことではないかと想像するが。

 

エヴリーヌ マギーとしか知らないわ。

 

アメデ それでその… 若い娘がお前に電話を掛けるはずだったと?

 

エヴリーヌ そうよ。

 

アメデ お前たちの間で、彼女がお前に電話することという申し合わせがあったのかい?

 

エヴリーヌ それがどうしたの?

 

アメデ うまい具合なことだったのかい?

 

エヴリーヌ いいんじゃないの?

 

(p.139)

 

アメデ 私が電話に出ることだってあるんだよ、エヴリーヌ。それで私は危ない目に出くわすことがあった…

 

エヴリーヌ 電話線の末端でね。

 

アメデ 言葉で遊ばないようにしよう。危ない目に出くわすというのは、その… 突飛な… 言動が、私の生活をかき乱したばかりの人間に、とても近い人物と話すことになるのではないか? ということだよ、エヴリーヌ、お前は、危うく生じるところだったものを、現実のものにするのかい?

 

エヴリーヌ あなたは私に受話器を渡したでしょうよ。

 

アメデ だがとりわけ、さらにもっと重大なことは、お前は私の憎むべき敵の娘とずっと関係を続けているということだ!

 

エヴリーヌ 私はあなたに既に言ったでしょう、そこには多分粗雑な誤解の面があるって。

 

アメデ いいや、エヴリーヌ、誤解は無いよ、ほんの僅かな誤解も無い。

 

エヴリーヌ 別の見方も知るべきだわ。

 

(140頁)

 

(アメデ、片手を自分の顔に持ってゆく。まるで今、顔を叩かれたように。)

 

アメデ そうやって私の苦しみ、私の憤慨、私の反抗が… それがひとつの見方というものだよ… 私が言っていることは信用できないということだ。お前は調査し点検する必要を感じている…

 

エヴリーヌ でも何故いけないの? そのためなのよ、私がマギーとどうしても話したく思っているのは。

 

アメデ どういう場所でお前はその人物と会わねばならないというのかい? 公平な場所でかい? 私はそう願っているけれど。

 

エヴリーヌ ここで何故いけないの?

 

アメデ ああ! だめだよ、エヴリーヌ、ここでは、私の処では、私の家の屋根の下では… そうなら私はほかの場所に移ろう — おそらく最終的には。

 

ステラ ねえ、パパ、そうすべてを悲観的に捉えちゃいけないわ。その会話がパパの苦痛になればすぐに、エヴリーヌ母さんは喜んで会話をやめるだろうと、私は確信しているの。

 

(p.141)

 

アメデ 我が子や、どうしてお前はエヴリーヌに、私にとって不快なことを言おうとしたがるのかね? 私は何度もお前に頼んだよ、おばあちゃんを呼ぶようにと。

 

ステラ 聞いて。それは、エヴリーヌ母さんへの私の感情には、ピンと来ないのよ。わざとらしいわ。

 

アメデ わざとらしい! 礼儀がわざとらしい、慎ましさがわざとらしい、とは…

 

エヴリーヌ こらわらないで、アメデ。ステラが同意したとしても、私は同意しないでしょう。あなたはこの点について干渉しなくてもいいということが、あなたにはどうして解らないの? つまるところ、戯れ事よ。

 

アメデ 個人的な人間関係のなかにはね、私が自分の家庭では決して大目に見はしない、ある種のだらしない関係というものがあるんだよ… 根底において、これらすべてはとても真面目なことなんだ。

 

ステラ どうして? パパ。

 

アメデ それに、これは、この不幸な国が日毎に一層はまり込んでいる退廃状態のしるしなんだ。

 

(p.142)

 

ステラ 私には分からないわ。

 

アメデ 我が愛しい娘よ、もしお前が、訳の分からん支離滅裂で藪のような読みもので楽しむ代わりに、方法をもった—そして知的な—努力を、この国の道徳観念と仕組みの歴史を自分のものにするために払っていたなら…

 

 

第五場

 

同じ人物たち、アルノー

 

アルノー こんにちは、みなさん。ぼくはさっきマギーと会ったところだよ、エヴリーヌ。彼女は君に会いに今から一時間後に来ると君に言ってくれるよう、ぼくに言付けしたよ。(アメデ、奥のドアのほうに向かう)どうして出て行くの? パパ。

 

アメデ 君の義母と妹はね、その訪問について私が考えていることを知っているんだよ。さっき私はかなり明瞭な言葉で私の考えていることを説明したと、私は思っている。でも、お前に心得ておいてもらうために、言い加えようか。(つづく)お前は、この何か月かの出来事をよく知っているのだから、この思慮の無い女に、じぶんの挙動の無作法さを理解させなければならなかったのだよ。

 

エヴリーヌ 挙動なんて問題じゃないわ、アメデ、あなたは(p.143)夢うつつの状態よ… マギーは私の友だちで、彼女を非難すべきことは私には何も無いわ。今、彼女がここに居る間、よければあなたはちょっと外出に行ってくれれば、私としては何の無作法も感じないわ。

 

アメデ お前の親切には全く感謝するよ…

 

シャルトラン夫人 (奥から現れる。これ見よがしに、遠方への郵送のためであるとして準備をしていたところである)私、郵便局へ行くわ。

 

アメデ (エヴリーヌに)お前の態度の結果は… 際限の無いものかもしれんな。

 

エヴリーヌ その際限の無いものに、私はけっしてそれほど恐れはしないわ、アメデ。

 

シャルトラン夫人 繰り返すけど、私はじぶんで郵便局へ行くからね。

 

アルノー 全然急ぐことはないですよ、おばあさん、郵便物は晩にならないと出ません。

 

シャルトラン夫人 それは原則としてのことよ。

 

(p.144)

 

アメデ お母さん、ほんのちょっと待ってくださいますか? 私が一緒に参りましょう。(二人は外出する)

 

 

第六場

 

エヴリーヌ、アルノー、ステラ

 

エヴリーヌ (快活に)隠しごとをしてはいけないわよ、お前たち、罰をくらうことになるわ。

 

アルノー 何があったの?

 

エヴリーヌ (彼らが出て行った方向を眺めて)二人とも何て似たもの同士なの!

 

ステラ (たじろいで)そう思うの?

 

エヴリーヌ はなはだしくね。

 

ステラ 私はそう思ったことは一度もないわね。パパはとても敏感なのよ。

 

(p.145)

 

エヴリーヌ (穏やかに)私だって、とりわけ彼らの間には、ある違いがあると思っているわ… ということにしましょう… しばらくの間。

 

アルノー (笑って)ママは何をお望みなの?

 

ステラ (エヴリーヌに)ママは笑いながら言ってるわ… こわいことを。

 

エヴリーヌ 私にはおそろしい雰囲気があるの? 我が子や。お前は私を今ではかなり知っていて、私が時おり、最も身近な者たちを、まるでよそ者か通りすがりの者のように見做すのをけっしてためらわないことがあるのに、気づいているわね。

 

ステラ それでママは、私たち、アルノーと私のことも、そうなの? …

 

エヴリーヌ もちろんよ。通りすがりのひとたちに、あなたがたは二人とも何て私のお気に入りなんでしょう! と叫ぶ気持ちを抑えられないようなものだわ。私の子供時代に、ステラ、そしてそれ以来、その欲求は覚えていて、それに抵抗することはほとんど出来ないのよ。

 

ステラ あの男たちとも?

 

(p.146)

 

アルノー もちろんだとも。なぜいけないのかい? 僕はあなたと同じだよ、エヴリーヌ。ただ、僕は抵抗しようなどとは全然しないけれど。

 

ステラ 男の子ね… いっそう簡単だわ。

 

アルノー みんなとだよ。老人たちと、若者たちと、子供たちと。だから僕は鉄道旅行がとても好きなんだ。

 

エヴリーヌ そんなこんなで、私の子供たち、私はお前たちを放っておきましょう。食事を献立しなければならないわ。まだ時間もある。マギーが来たら、私はじぶんの部屋に居るから、彼女をそこに通してちょうだい。(出て行く)

 

 

第七場

 

アルノー、ステラ

 

ステラ (神経質な様子)私、沢山あなたに言うこと、訊くことがあるの。なのに、あなたは居たことがない。それでも今朝、私は早く起きたわ。あなたが教会に行っているんじゃ、どうしようもないけれど。

 

アルノー (穏やかに)多分、それでも、君が思うよりはちょっといいよ。

 

(p.147)

 

ステラ あなたが言おうとしていること、分かっているわ。でも、もし私がそのことを感じないなら、あなたが理解しているのは…

 

アルノー 僕の思うに、あんまり感じることを求めてはいけない。それは何の役にも立たないよ。

 

ステラ ここの雰囲気がとても重苦しくなるわ。あなたはそれに気づいているふうではないわね。それでもあなたには、今さっきエヴリーヌの言ったことが分かっている。彼女が結婚後十八か月にしてそこまで行っているなら…

 

アルノー エヴリーヌの感情を論じようとは思わないね。彼女の感情は僕たちには関係ないことだ。そのうえ、多分、僕たちは彼女の感情を全然理解できないだろう。

 

ステラ あなたはいつも身を隠すのね。心地いいことでしょう… 生きること、それは私にはとても困難なことに思えるわ… 私をあなたは憐れむ?

 

アルノー いいや。君は大変だなと思うよ。

 

ステラ あなたが私の身をつよく揺すぶってくれるほうがまだいいわ。

 

(p.148)

 

アルノー でも、そうしたら、君は、君への扱いが荒いと言って僕を非難するよ。(沈黙)

 

ステラ (声を低めて)もうすぐ、フルー嬢が私に会いに来るわ。

 

アルノー それ、誰?

 

ステラ アルノー!

 

アルノー あ! そうか。僕、その人の名前を忘れていたよ。

 

ステラ もうまったく、あなたの頭は大丈夫?

 

アルノー 彼女、君に手紙を書いたの?

 

ステラ 昨晩、短文を受け取ったのよ。ほら、これよ。(アルノーに一通の手紙を差し出す。)

 

アルノー (読んだ後で)妙な筆跡だ。奇形と言えるね。

 

ステラ 彼女自身が奇形ですもの、よく知っての通り。

 

(p.149)

 

アルノー 君が彼女とまた会うのかと思うと、残念だよ。

 

ステラ 彼女は私と話をしたかったのよ。その欲求のお相手をしないのは、ただもう意気地の無いことだったでしょう。

 

アルノー かならずしも、そうとは。

 

ステラ どうして?

 

アルノー 君は、彼女が君にママのことで話をしたいのだと、理解しているつもりでいたの?

 

ステラ 私はそれは確かだと思っているわ。

 

アルノー そうか、そうなの…

 

ステラ (熱を込めて)私はあなたが理解できないわ。私たちは、昔何があったのか、知ろうとして、さんざん苦しんだわ…

 

アルノー 僕はちがう。

 

(p.150)

 

ステラ じゃあ、あなたは、そのふりをしていたのね… あの、訳の解らない病気、この病気について誰も私たちに詳しいことを教えてくれようとは決してしなかった… そして彼女の死、アルノー、彼女の死よ… 私たちは三週間後にしてやっとその死を教えられた… あなたもよ、あなたもこのすべてに取りつかれてきたのよ。

 

アルノー 僕は君に従っていたのさ。アチクールやメゾン・ルージュへの散策みたいに。君が居なけりゃ僕はそんなことしなかったろう。

 

ステラ アルノー! そういうものと何の関係が?…

 

アルノー 僕には興味本位な気持は無いと、僕は思っている。

 

ステラ 私たちの母親のことが問題なのよ、アルノー、見知らない人のことじゃないのよ。

 

アルノー それでもやっぱり、一種の… 好奇心だ。

 

ステラ 私にとっては違うわ… それはひとつの苦悶… 後悔だわ。私はママのことを、そうあるべきように考えることは出来ないでしょう、ママの人生が何であったのかを私が分からないうちは。

 

(p.151)

 

アルノー どうして出来ないんだい?

 

ステラ 私は、祈ることを知らないのよ。

 

アルノー 済まないが、ステラ。(沈黙。— 優しく)ただ、君は知っているが、僕はそれでも多分、君が想像する程には全く単純な人間ではないよ。僕は君に請け合うけれども…

 

ステラ いいえ、アルノー、あなたは最も単純な人間よ。ほら、あなたは、嘘をつこうと思ったって、それすら出来ないでしょう。あなたは小さな子供のように、すぐにもたついてしまうわ。

 

第八場

 

同じ人物たち、マギー

 

マギー こんにちは、マドモワゼル。(アルノーに)あなた、私の伝言をエヴリーヌに届けてくださいました?

 

アルノー ええ、ええ、彼女はあなたを待っていますよ。

 

ステラ 私の父が外出しているのは、あなたに好都合です。父は間もなく戻って来るかも知れません。

 

(p.152)

 

マギー お父さまとお会いしても、お父さまが私をお食べになることはないでしょうと、私は思っておりますわ。

 

ステラ 父は心をとても深く傷つけられたことがあるのを、私、あなたに隠すことは出来ません…

 

マギー 何ですって?

 

ステラ 私は、見解を持っているわけではありませんが、父は犠牲者だったことは確かです… ある陰謀の。

 

アルノー おい、ステラ。

 

ステラ あなたはよく分かっているわ、私が誇張しているのではないことを。

 

エヴリーヌ (入って来て)あなたの声だと、私、思っていたわ、マギー。元気? いつからオルシャンに居るの?

 

マギー 一昨日の晩からよ。でも、ねえ、エヴリーヌ、あなたのご主人は何か訳の分からないことを想像しているように見えるけど?

 

エヴリーヌ 説明するわ。何ごとも大げさに受け取らないようにね。

 

(p.153)

 

マギー (愛情に燃え立って)どうしてって、私は、パパのことが問題であるときは、あなたも解っているように…

 

エヴリーヌ もちろんよ、マギー。

 

マギー パパは前代未聞の人間よ。その公正なこと、律儀なこと… 素晴らしいひとだわ。あんなひと知らないわ、私… 有史以前のひとだわ… ようするに、シャルトラン氏はパパの何を非難しているの?

 

アルノー 僕の父はこう思っているのだと思いますよ、是非はともかく…

 

ステラ 聞いて、アルノー…

 

アルノー …あなたのお父さんは「ルヴュ・デ・レットル」の指導職を放棄する必然性に追い込まれたのだ、厚かましくも自らの辞職を拒否する挙に出ていながら、と。

 

マギー 必然性って、何のことですか? 私が知っているかぎりでは、あなたのお父さんは、パパの言うところよれば、この世が生んだ最も敏感な人間で、(p.154)全く無意味な些事を誇大視して、どんなところにも、個人的な侮辱の表現しか見ない人だ、ということです。パパは、忍耐そのものの人ですが、とうとうそれに疲れ果ててしまう結果になりました。まったく当然なことです…

 

 

第九場

 

同じ人物たち、アメデ

 

アメデ おみごとですな、マドモワゼル。私の家に来て我が家の者たちに私の欠点を明かしておいでだ。まったく洗練された、我々の生きている時代に実にふさわしいやり方ですな。私の讃辞です、マドモワゼル。あなたが良い学校のお出だというのは本当ですな、マドモワゼル。

 

マギー (非常に鋭い声で)ムッシュー、許しませんよ…

 

エヴリーヌ ねえ、マギー、これらはみんな馬鹿げていることに気づかない? 私と庭を一周してきましょうよ。そのほうがずっといいわ。

 

マギー それはいいわ、もっとも、あなたを喜ばせるためにね!

 

エヴリーヌ もちろん、もちろんよ。

 

(p.155)

 

マギー 本当に、パパの信じられないような善良さが必要だったわ、パパの、ありそうもないような寛容さが… (エヴリーヌと一緒に外へ出る)

 

第十場

 

アメデ、ステラ、アルノー

 

アメデ 変わっているな… 君たちは、あの人物の顔つきが示している堕落の烙印に気づいたかい?

 

アルノー (単純に)分かりません。マギーは魅力的だと思います。

 

アメデ 何ですと?

 

アルノー 彼女はあまり利口ではなく、不愉快な性格だと思いますが、でも…

 

アメデ 魅力的? あれは突顎(とつがく)ですぞ〈顎(あご)が突き出ていますぞ〉!

 

アルノー そのことについては僕は何も知りません。

 

ステラ 突顎って、何を意味するの?

 

(p.156)

 

アメデ 情けない我が子たちだな。君たちのひどい無知の、何がこんなに私を唖然とさせるのか、私も分からん。文盲な人間たちの無知なのか、あるいは、こっちのほうがもっとずっと深刻だが、一種の俗物的不透明さによる無知なのか…

 

アルノー 僕がマギーのことを魅力的だと思っても、僕に責任はありませんよ。

 

アメデ そりゃそうだろう。奇形な人間も、じぶんの奇形さに責任はないからね。(アルノー、笑いを爆発させる)笑えるような何があるのかね? それに、私はすすんで反省してもいいよ、我々の在り方のなかで、自由意志に帰せられる部分は、一般に信じられているよりももっとずっと広いというのは違うのではないのではないか、と。(アルノーに)それにだ、我が子よ、君の教会で尊敬され、私もたいへんに敬っている、あの博士の言うところによれば…

 

アルノー 僕はそんなに神学者じゃないよ、パパ。

 

アメデ 神学者でなくとも、君はじぶんの信仰のことをもっと考えることに関心があるように、私には思えるがね。君は知っている、私にとって君と信仰を共有することがどんなに甘美なことか、その君の信仰は、私には思えるのだが、つまり… (あくびをしているステラに)ステラ、君の食後時間は少しばかり監視されたがっているのではないのかい?

 

(p.157)

 

ステラ どうして? パパ。

 

アメデ その、時宜を得ないあくび…

 

 

第十一場

 

同じ人物たち、エヴリーヌ

 

エヴリーヌ (庭から戻って)雨が降り始めてるわ。

 

ステラ おばあさんは戻ったの?

 

アメデ 君の親愛なるおばあさんは郵便局だよ。我々が外出の際に出会ったドゥ・ピュイゲルラン夫人が、じぶんの車に乗せて行ったよ。間もなく帰宅させるはずだ。

 

アルノー (エヴリーヌに)で、マギーは?

 

エヴリーヌ 彼女はもう一度対峙する気は無かったのよ、彼女への非難と、アメデ。もしあなたが彼女を威圧したと思っているのなら、私はあなたの誤りをあなたに悟らせなければならないわ。彼女は自分を知っている、これが(p.158)すべてよ。彼女は、自分を抑制することが難しいのを、知っているのよ。そして怖れたの…

 

アメデ どうでもいいことだよ、その人物が何を言い、何を考えようと、エヴリーヌ。だが、私は、おまえが敵に回ったと理解しなければならないのかい? そうだとすれば、これはもっと深刻なことだ。(沈黙)子供たちや、これはひどく意味深長な沈黙だ、そうではないかい?

 

エヴリーヌ 聞いて、あなた、質問が意味の無いものである場合、答えないで放っておくのが思い遣りのあることだと、私には思えるのよ。

 

アメデ (不意に)エヴリーヌ、私は六か月で十年歳をとったことに気づいているかい?

 

エヴリーヌ いったい、何がそんな考えをあなたの頭の中に吹き込むことが出来たの?

 

アメデ これは考えじゃないよ、エヴリーヌ。明白な事実なんだ。私は毎朝髭を剃っているよ、エヴリーヌ。じぶんの鏡の中のじぶんの顔を見ている。(エヴリーヌ、ばか笑いを起こす。アルノー、じぶんも爆笑する)

 

ステラ あなたたち、おかしいわ。

 

(p.159)

 

アメデ 放っておきなさい、お前。この笑いは私の気に入りだ、私を啓発する。アルノーのことを言っているのではないよ。彼は一種の哄笑癖がある。ちょっと… 未分化な類の人々に見受けられるようなね。

 

アルノー どうも。

 

アメデ だが、君の義母の笑いは、私にとって… 深刻に教化的だよ。(エヴリーヌ、笑いを倍加させる)ひとりの老いてゆく男、苦しんでいる男、自分の友らからも裏切られた男… 人生そのものから裏切られた後で。これは滑稽だよ、エヴリーヌ、当然、耐えられない滑稽さだ。

 

エヴリーヌ (相変わらず笑っている)ごめんなさい、アメデ… これは異様ね、承知しているわ… どうにもできない… (ハンカチで口を押さえつけながら大急ぎで出てゆく)

 

沈黙

 

第十二場

 

アメデ、アルノー、ステラ

 

アメデ (エヴリーヌがそこから出ていったドアを指差して)何者だ? あれは。

 

(p.160)

 

ステラ 解ってるでしょ、パパ…

 

アルノー 機械的なんだよ、全然重要な種類のものではない。

 

アメデ あれは何者なんだ?

 

ステラ 私たち、みんな、ちょっと神経質なのよ、このところ… 天候がとてもうっとうしくて、本当に。

 

アメデ 神経質… 天候… 我が子や、そういうのはつまらない口実だ。私は、それには騙されないよ。

 

アルノー 僕は怪しんだんだけど、エヴリーヌは…

 

アメデ 何だって?

 

アルノー 詳しく言うのは僕にはちょっとやっかいだよ。

 

ステラ でも、何を言いたいの? アルノー。

 

(p.161)

 

アルノー (気詰りな様子で)こういった場合、ご婦人方の気分というものは、しばしば、少し妙、少し気まぐれなものとなるように見える…

 

ステラ 何のこと?

 

アメデ もし、そういった性質の出来事がこの家のなかで用意されていたのなら、基本的なことは、その出来事が自らをそれで覆いたがっている繊細な包みを引き裂かないことだろう。その包みは… 沈黙で、… 羞恥心で、できている。しかし、そういう推測はかなり… 無遠慮なものであって、何に答えるものでもないということが、分かるよ。

 

アルノー パパには知り得ないよ。多分、エヴリーヌはまだ何もパパに言おうとは思っていないよ。

 

アメデ (そっけない口調で)そのことに関しては一言も付け加えることはない。私は文字通りに… 夢を見ているのだと思う。(沈黙)私のとても親しい婦人マリ=エステル・ド・ピュイゲルランは、最近、私に気づかせていたよ、君の義母は、私たちがここで享受している、少し隠遁的で全く観想的な生活には、慣れるのが難しく思えるということをね。

 

ステラ 私、そんなに好きじゃないわ、その生活… それで私、私が九月にちょっとイタリアに行く方法はないものか、パパに尋ねようと思っていたくらいだわ。

 

(p.162)

 

アメデ イタリアに? どうしてイタリアに? ステラ。その贅沢な旅行は何になるんだい?

 

ステラ あそこは生活費が安いわ。そして旅程が、割引で…

 

アメデ 我々があらゆる種類の物資制限を押し付けられている今の時代にね… 私は、経済的な理由のために、二種の芸術関係雑誌の予約購読を取消したばかりだよ。十年来熱心に継続していたものだ。それなのに、お前はイタリアに何しに行くのかい? 私は、ずっと前から、お前が美術館や展覧会への堪え性の無さに気づいていたよ… それで、もし偶々、お前を向こうに惹くものが風景であるのなら、私の言うことを信じろ、お前は、我々のイル=ド=フランス地方がちょっとした散歩の折にもお前に提供する風景よりも、もっと愛し得る風景には出会わないだろう。

 

ステラ そういう風景は知っているわ…

 

アメデ 本当に知っているか?… 眺めることを、ステラ。怪しいものだ。眺めると呼ばれることは何だろう? 私が最近お前に絵を描く稽古を少しやらせたら、お前はどうして続けなかった? お前には継続が欠けている。多分それがお前の最も深刻な欠点だ。それで私は、(p.163)そういうふうではお前は見込み違いというものに準備が出来ていないのではないかと、心配しているんだ。それで思い出したが、今が時宜だろう、私はお前に、私に出来るすべての策を使って、それに気づかせよう、それどころか充分にそうすべき時だろう、若者アラン・ド・ピュイゲルランにたいするお前の立場をはっきりさせるのだ。

 

ステラ でもパパ、彼は親切な同僚よ、それだけよ。

 

アメデ(じれったそうに)ステラ、そういう意味の無い言葉はやめてくれないかね。私はお前に、あの夢想家肌の大きな坊やがお前にたいしてそうとうな情愛感情を培っていることを断定するからといって、何も教訓を垂れようというのではないよ。お前を前にしているときの彼の様子は、疑いのないもので、おまけに、彼の母親が私にそのことを確かだと言っていた。確かに、私には難しい、じぶんの貯えが多分他の者たちとは異なるような性質のものである若者について判断することは。だが私は彼の内に或る特徴を見いだしていて、その特徴は、私が彼の母親の内にあるものとして評価しているものなのだよ、何… 十年も。そうさ! 私たちは一緒に、あのモンソー公園のなかの肖像彫刻群で遊んでいたものだ。あの公園をお前たちは殆ど好まないが、なぜなのか私には余りにも分らない。その上、私はアラン・ド・ピュイゲルランの内に、あの謙虚さ、あの、尊敬への、敬意への傾向があるのを見抜いたと思っている。こういったものは、お前の大抵の同時代の者たちの内には、まったく嘆かわしいことに欠けているものだ、我が子アルノーよ。私は今、お前のことは話さない。お前のケースは全く特殊だ。いずれにせよ、ステラ、私はお前を、ある種の傾向からどうやって守ったものか、余りにも分らない——時間稼ぎというものに近いと言うべきなのだろうか?… それは時々、媚態というものに近いかもしれない。

 

(p.164)

 

アルノー ああ! パパ、ステラは色使いじゃないよ。それはないと思うよ。

 

アメデ たとえ無意識にでさえ、ある種の感情とは遊んではならないよ。その感情の対象がどういうものであれ、その感情が、人間の本性のなかで多分上位のものであるのならばね。

 

ステラ でも、私のせいじゃないわよ、もしアランが…

 

アメデ それについてはまたゆっくりと話そう。ご婦人方がいらした。

 

 

第十三場

 

同じ人物たち、シャルトラン夫人、ド・ピュイゲルラン夫人

 

シャルトラン夫人 まあ、まあ、まあ。私に歴史を物語りに来ることはありませんよ。私は、彼を見たんですからね、ヒトラー氏を。私があなたを見ているように。バイロイトで、昨夏に。ともかく、請け合いますが、彼にはひとつの品位があります、そしてひとつの率直さが!… 彼には惹くものがあります。相手になる人物がすぐに現れますよ。そのうえ、私たちは、マチン王女のお宅で互いに紹介されそうになりました。王女の姪が私のホテルに居たもので。まあ、何てことはないですが。

 

(p.165)

 

ド・ピュイゲルラン夫人 (ぎょっとした様子)威圧されませんでした?

 

シャルトラン夫人 私が? どうして? 私は内気ではありません。為すべきことをご存じ? 彼をパリでの博覧会に招待することです、はっきり言って。パリ市民は彼を崇拝するのではないかと、あなたに言っておきますよ。人々は彼を化け物にしてしまいました。それこそぞっとすることです。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 でも、あなたは、彼は承諾するだろうと信じてらっしゃるの?

 

シャルトラン夫人 それはもう、喜んでね。優しい人よ、あの人は。彼を眺めていさえすればよいのよ。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 でも、六月三十日に…

 

シャルトラン夫人 (皮肉っぽく)あなたはそこに居たの? あなたは特別な情報を得てらっしゃるの? 私は、人々の言うような情報には、興味は無いわ。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 でも新聞が…

 

シャルトラン夫人 新聞! あなた、それがどうやって作られるのか、知ってる? ひとつの新聞が。知らない? 何とまあ。私は、気づいていますよ。(p.166)我らがアドルフのことに戻りますが、少なくとも一か月あることが必要でしょう。それから、彼はあちこちの人たちの処で晩餐をなさいます。私たちの国にどういう立派な方々がいるか、ちょっとご覧になります。彼はそのあたりの様子を全然ご存じないのです。あのね、私は、そのことで気を遣うことでしょう! (つづく)私は彼にこう言うでしょうね: さあ、ようございますか、ヒトラーさん、あなたは私たちに戦争を仕掛けることはないのです! とんでもない、ようございますか、そんなことは、すべきことではありません。それが良かった時代もありました。でも今は、発明によって、科学によって… さあ、さあ!…

 

ド・ピュイゲルラン夫人 あなたのおばあさんは、たいしたものですね、ステラちゃん。

 

アメデ 私の母は、生命力を証明しており、付け加えますなら、楽観主義を証明しています。この楽観主義は我々を面くらわせますが、同時に魅惑します。母は、我々の誰よりも若いのです。

 

シャルトラン夫人 勿論ですよ。若いというのは年齢のことではないわ。

 

アメデ ところで、あなた、マリ=エステル、政治はほんとうにあなたの内に何かの関心を目醒めさせますか?

 

ド・ピュイゲルラン夫人 ねえ、アメデ、政治は私たちの生活に、とんでもなく巻きついているからですよ。二十三歳のひとり息子を持っていれば…

 

(p.167)

 

アメデ それはもう、それはもう。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 そして自分の夫を戦争の結果失ったとあっては…

 

アメデ ええ、あなたの気の毒なアルベリック…

 

ド・ピュイゲルラン夫人 起こるかもしれないことへの考えに付きまとわれないようにするのは、とても難しいことです。

 

シャルトラン夫人 (断固たる口調で)私の友よ、どうか、固定観念に取りつかれないでね。でないと精神病院で終わりですよ。それでは全然愉快ではありません——とりわけ周囲の者たちにとっては。私がエルネストを失くした時は、もう分かりきったことで、私、自分が発狂してしまうだろうと思ったわ… そのあと私は抵抗した。投げやりになる理由は無いわ。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 皆があなたのような気概を持っているのではありませんわ、奥様。

 

シャルトラン夫人 それはつまり、現在では、意志というものが何なのか、もう分からなくなっているということですよ。私の言っている言葉を聞き取ってください。「意-志」です。

 

アメデ しかし私にはこう思われますね、(168頁)あの今では大人になった青い目の坊やを育てることが問題だった頃——ところで彼の目は青いでしょうか? いや、むしろアクアマリンだ——、マリ=エステルは、実に根気のある、英雄的態度に全く近い、献身の様々な印を示すことを覚えたのだ、と。私は、このような子供期の病気——麻疹(はしか)や猩紅熱(しょうこうねつ)——の記憶を保持してきました。その場合、何夜もの間…

 

シャルトラン夫人 彼女は少し気をつけたほうが良かったでしょうね。病人たちの枕もとで自分の健康を害しては何になるでしょう? そのあとで、あなたの看病をしなければならないのは、彼らなのですからね。私の考えには無いことです。

 

アメデ ある種の浪費癖は、理に適っているか否かはともかく、いつも私の賛嘆の的となるでしょう。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 (皮肉で突くように)アメデがとても素敵なのは、彼はまさに文章を書くように話すからです——そして彼の手紙が素晴らしいものであるように…

 

アメデ あなたの言うことに反論することになるのでしたら残念ですが、マリ=エステル、むしろ私は、自分が話す言葉の通りに書くのだと、自分のことを思っています。私は大いなる自発的自然の人間です、これをお忘れなきよう。(沈黙)

 

シャルトラン夫人 ところでステラ、変な妖女みたいなのがいてね、自分にお前が会う約束をしたと言い張るんだよ。

 

(p.169)

 

ステラ まあ!…

 

シャルトラン夫人 私は彼女に、小事務室で待つように言ったわ。何かの仕事活動のために彼女は来たのでは? と、私、想像しているけど。

 

ステラ (動揺して)どうして私にそのことをもっと早く言ってくれなかったの? おばあさん。

 

シャルトラン夫人 (残虐に笑って)《ヴァロワ家の小ボッシュたち》、この妙趣には何かあるわね… 私がお前に助言できることがあるとしたら、お金を巻き上げられないように、ということだね。

 

ステラ それはおばあさんがほんとうに思っていることじゃないわね。(出て行く最中)

 

シャルトラン夫人 いずれにせよ彼女をここに連れて来なさい。いま十一時半よ。私は小事務室に自分の本を何冊か携えて身を落ち着けに行くことにしましょう。ここは暑過ぎるわ。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 相当たくさん本をお読みですか?

 

シャルトラン夫人 繰り返し読みますよ。良い著者のはね。ヴォルテールやルナンとか。ノートを取りながら。これが私の祈禱の仕方ですよ、私にはね。ふふふ!

 

(p.170)

 

アメデ そしてあなた、マリ=エステル、あなたがご自身の精神を野育ちのままにしておかないよう、私は期待します…

 

ド・ピュイゲルラン夫人 私は、もう殆ど読書しません。頭が痛くて。それに、今のこの世の出来事のすべては… 誰も全く予期しなかったことです。

 

アメデ 誇張なさっていますよ、マリ=エステル。皆が騙されたのではありません。私は、自分の家族宛に嘗て書いた自分の手紙を幾つか再読しますと、千九百十二年のものですが——私は当時二十五歳です——、自分の先見の明に驚きます。いつか、そのなかの興味ある数節をあなたのために読ませていただくことをお許し願えればと思っております。

 

ステラ (戻って来る。自分が先導しているフルー嬢に向って)どうぞこちらへ、マドモワゼル、宜しければ。私にあなたを紹介させてください。

 

アメデ (フルー嬢を見て)あっ!

 

ステラ 私の父、私の祖母であるマダム・シャルトラン、マダム・ド・ピュイゲルランです。こちらはマドモワゼル・フルー。もしかしてマドモワゼルを私の部屋へお連れしたほうが宜しいかしら。

 

アメデ 全然かまわないよ。私はすぐに帰る。

 

(p.171)

 

ステラ でも、パパ…

 

フルー嬢 私はどなたのお邪魔もしたくありません。

 

ド・ピュイゲルラン夫人 (ステラに)私たちが明日のおやつの時間にあなたがいらっしゃるといいなと思っていることを覚えていますか? 勿論、アルノーさんにも。

 

ステラ でも、参れるかどうか分かりません…

 

ド・ピュイゲルラン夫人 私たちに寂しい言葉を言わないでください、愛しいひと。アランはそれはもう悲しがります… 今、彼は具合が良いとは思えないのです。ではまた。(握手)

 

アメデ あなたの車までお伴いたします、マリ=エステル。

 

シャルトラン夫人 それじゃ私は、私のイスラエルびとたちのほうへ戻るわ。夢中にさせるひとたちよ。ああ! あのユダヤ人たちは、ほんとうに… それでもヒトラー氏は完全に誤っていたわけではないわ。じゃあ、またね。(フルー嬢のほうへ頭を下げ、右側を通って出る)

 

(p.172)

 

第十四場

 

ステラ、アルノー、フルー嬢、そしてアメデ

 

フルー嬢 (アルノーの前に突っ立って)彼はかなり母親似ですわ!… 私は彼を通りで見かけたかも知れません。

 

アルノー 私たちは以前、お会いしたような気がします、マドモワゼル。

 

フルー嬢 ずっと以前に。

 

ステラ (ふるえる声で)私はむしろ、母親似は私のほうだと思っていましたわ。

 

フルー嬢 眼差しのなかには何かが… そしてまた、声の響きのなかにも。だけど彼は、顔は卵形で、口と顎は…

 

ステラ そうですね。

 

アルノー 似ているところというのは、僕にはいつも、とても曖昧なものに思えますね。

 

(p.173)

 

フルー嬢 一目瞭然、そう私は繰り返しますわ。

 

ステラ お座りください、マドモワゼル。あなたが来られることが出来て、私はとても嬉しいです… 私は怖がっていました… あの、モーリス家での出会い以来… あれはとても奇妙で、とても思いがけないことでした…

 

フルー嬢 私にはそうではありませんでした。私は知っていました。

 

ステラ 何ですって?

 

フルー嬢 私はとても心霊的なのです。私には直観力があります。よいですか、この力は私を決して欺きません。

 

アルノー あなたに同情します、マドモワゼル…

 

フルー嬢 つまり、これは大きな特権だということです。この特権は当然受け取らねばなりません。魂全体を体操させる術というものがあるのです。

 

ステラ すごいことですね。

 

(p.174)

 

フルー嬢 全然。これより単純なことはありませんわ。指導があれば。

 

ステラ 誰による指導ですか? はっきり言えば。

 

フルー嬢 奥義を授かる必要があります。それだけです。

 

ステラ 何の奥義ですか?

 

フルー嬢 もし、私が期待しているように、私たちが今後、継続的なお付き合いを維持するのでしたら、私はあなたにいろんな本をお貸ししましょう… とりわけヒンズー教の本を、それからアメリカの本… そして私はあなたを非凡な人々と会わせましょう。それはあなたが全然考えてもいないような世界ばかりです。

 

ステラ でもとりあえず、マドモワゼル、私たちはどんなにか愛していることでしょう… そうでしょう? アルノー。 私はあなたが頼りです、マドモワゼル、どういう点でかということは、あなたはご存じにはなれませんが。私たちは自分たちの母親について人から話してもらったことが一度もありません。そしてあなたは私たちの母をとてもよくご存じでした。あなたが私にそのことを仰った。そして…

 

アメデ (庭から戻って)申し訳ありません、マドモワゼル、私はあなたに失礼に思われたかもしれません。

 

(p.175)

 

ステラ もしパパにこの部屋が要るのなら、私たちはマドモワゼルを私の部屋にお連れするわ。

 

アメデ その必要は無い。あなたに質問して宜しいですか? マドモワゼル、私たちがこの思いもよらないご訪問の栄誉に浴するのはどうしてかということを。

 

フルー嬢 じゃあ、あなたはお父様に、モーリス家での私たちの出会いについて、何も話さなかったのですか?

 

ステラ ええ… 話さなかったと思います。

 

フルー嬢 変なこと。

 

アルノー マドモワゼル、私たちにはそれぞれ、自分の生活と、人間関係があります…

 

フルー嬢 結構ですよ。でも、そういうことでは、家族はどうなるでしょう?

 

アメデ では、あなたは私の娘とお会いになったということですね、そこで… 外部の人間のところで。

 

(p.176)

 

ステラ ジャンヌ・モーリスよ、パパ。

 

アメデ その名は私にとって全く何も意味するところは無い。どうでもよいことだ、もっとも、少なくとも今はね。あなたはお近づきになったのですか?

 

フルー嬢 その女の子は私の知らない子だったの。私はその子のお母さまの家庭教師で相談相手だったのです… (アメデ、疑わしいといった身振り)ええ、ムッシュー、私はあなたには何もお教えしません。私たちは昔、何度も繰り返し会いました。あなたが忘れてはおられない事情で。ただし、ムッシュー、私のことが忘れられることは、決してありません。私にはひとつの印があることを、私は知っています。

 

ステラ 私なの、パパ、マドモワゼル・フルーに、私に会いに来てくれるように頼んだのは。彼女が友だちの近くに住んでいることを、私、知ったので。アルノーと私は、彼女に質問したいことがあったのよ。

 

アメデ アルノー?… 質問?…

 

アルノー ステラは、最近ずっと、すごく苦しんでいたんだ。

 

(p.177)

 

ステラ おねがい、アルノー、今はだめ… もし宜しければ、マドモワゼル、私たち、私の個室でご説明します。そこのほうが全く落ち着きます。

 

アメデ それは承服しかねます。質問して宜しければ、マドモワゼル、あなたは私の子供たちと文通を試みられたのですか?

 

フルー嬢 (蔑んで)手紙!… 私は居合わせることしか信じません… それに加えて、出来事と出会いが、果実のように熟すほかはありません。これは、ほかの沢山のことと一緒に、マダム・エレーヌ・シドニーが私たちに教えてくれたことなのです。

 

アメデ マダム・エレーヌ・シドニーとは誰ですか?

 

フルー嬢 マダム・エレーヌ・シドニーをご存じないと?

 

アメデ ええ、マドモワゼル、少しも知りません。

 

アルノー 僕もです。白状しますが。

 

フルー嬢 教養があると自任する方が、(p.178)この世に現われた最も輝かしい人々の中の一人の存在を知らない——それで、不幸なヨーロッパは混沌の中にある、と驚くのね! ほらどうぞ。(フルー嬢は自分の小さな鞄から一枚の写真を取り出す。アルノーとステラは父親の肩越しに眺める)

 

アメデ これが女性だと確信していらっしゃるのですか? マドモワゼル。ブルドッグか牧師だと人は言うでしょう。

 

フルー嬢 どういたしまして、ムッシュー。マダム・エレーヌ・シドニーは霊魂上の産みの親ですよ、ラハームルティの…

 

アメデ クリシュナムルティ。

 

フルー嬢 私にその詐欺師のことを話さないで… ラハームルティの、ですよ。救いの天使で、世界を物質主義の牙からもぎ離すでしょう。

 

アメデ その人物の写真をもっとお持ちですか?

 

フルー嬢 私の家に。ゴルフをしている最中です。(アルノー、笑い出す)後生だから、笑わないで、坊や。その笑いはあなたの愛しいお母さんの心を突き刺します。お母さんはあの世の底からあなたを見ており、あなたの言うことを聞いています…

 

(p.179)