かんがえることは悲観的にさせる。かんがえること自体が生理的ダメージをあたえ、疲れさせるからだ。この点、遠くをみよ と言ったアランは、一生に一度真剣に形而上的反省をしたら、その後はなるべくその種の真剣な反省からは精神を離すのがよいとしたデカルトとともに正しい。