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人間は、服従しないで反撥するから人間なのだ。意外に思われようが、この反撥心によって因果応報の世界も成り立っている。誰かがぼくを侮ったとする。ぼくがその瞬間、なにを、と反撥心を起こすなら、応報の結果をもたらす原因が入力されたのである。どんなに時間がかかろうとも、それほど時間がかからなくとも、ぼくはその者に必ず報いる未来を経験することになる。不思議なことに、ぼくの生はそういう因果応報の連続だった。それを起こしたのは、ぼくの反撥心という意志だったことに、いま、思い当たっている。だからこれを書いている。こういう種類のことは言われておらず、そして、相当重要な気づきだと思うからだ。有名なウサギとカメの童話も、カメの反撥心という意志がもたらした逆転劇だというのが、その本質である。意志の力というものを過小評価してはならない。純粋な断定である意志(訳しているマルセルの形而上学日記にちょうどそのことが言われている〔183頁〕)には、あたかも護り神が控えているかのようだ。だから、誰をも舐めてはならない。このことをイエスも言っているのだ(イエスが実在したかどうかではなく、その言ったことの真実性を問題にしている)。ぼくが不当に誰かを舐めても、同じことが起こる。そしてその逆襲に部分的にふくまれている不当さをぼくが感じて反撥すれば、今度はぼくの側からの逆襲が相手を襲うだろう。これが因果応報なのだ。因果応報は智慧(真実に気づくこと)によって乗り越えられねばならない。われわれは〈ごっこ〉をしているのではないのだ。そして、ただ権威に服従しているだけの者など、さらに要らない。