和解によってじぶんの固有性の価値の意識が消えてしまうなら、和解をせずに対峙したままなのがよい。これいじょうのことはない。これいじょうに至らないのを咎のように思ってじぶんに否定的になったり後ろめたさをおぼえたりしてはならない。和解という理念(観念)があるだけで、それを達しても達さなくてもじぶんにはマイナスである、そういう場合には、和解という理念そのものを否定するのがよい。

 

 

みせかけの和解は、相手の誤解を承認することであり、いつまでも自分の自信と自覚を捨て裏切ったままであることである。日本の民族症そのものだ。

 

 

 

そうだ、

 

どうしたの?

 

こういう相手にも、対峙はそのままで、独立的(自立的)な感謝は抱くことができる。これこそ、軟弱な和解よりも遙かに高いものだとぼくは思う。

 

あなたも これで救われたみたいね。