最近あまり話題にならなくなったベートーヴェンについて改めて思うことがある。聴こえるからこそ愉悦をあたえる音楽を聴けなくなったベートーヴェンの、音楽にたいする関わり方が、普通のものであるはずがない。普通は、聞こえるからこそ音楽への熱意が生じ、持続される。ベートーヴェンの場合は、聞こえなくなったからこそ熱意が燃え立ったのではないか。彼は、たしかに、精神で聴こうとしたのであり、その逆説的な熱意が、彼をして聴くを得さしめたのだ、と思われる。聞こえない音楽を聴いて感動するベートーヴェン。聴くという行為もそこまで高まりうるのだ。人間の可能性を彼は開示した。

 

彼の教訓は、奪われたもの、与えられなかったものを、精神によって取り戻し、獲得する、ということである。

 

 

高田さんがベートーヴェン像をつくらなかったのは惜しい。モデルの現存は絶対条件だったのか。