マルセル思想の仕事をしていて、一般的に気づくことがある。論述と演劇で、完結性があるのは無論演劇のほうである。論述は無際限性に陥ることが屡々だが、演劇はその本質上、完結した形を示さなければならない。しかも、演劇が展開される具体的な状況において。ここにぼくは、論述では得られない満足を覚える。このことが、彼の演劇なしには彼の思想の大事な内実が消えてしまうように最近理解しだしたという、ぼくの変化である。
これを記しておきたいと思った。
マルセル思想の仕事をしていて、一般的に気づくことがある。論述と演劇で、完結性があるのは無論演劇のほうである。論述は無際限性に陥ることが屡々だが、演劇はその本質上、完結した形を示さなければならない。しかも、演劇が展開される具体的な状況において。ここにぼくは、論述では得られない満足を覚える。このことが、彼の演劇なしには彼の思想の大事な内実が消えてしまうように最近理解しだしたという、ぼくの変化である。
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