高田博厚さんをも、「もの」なしで思惟(瞑想)することはできない。高田さんをかんがえるためにぼくがつくった「もの」が、ぼくの書いた高田本なのである。 

 

 

その価値は全く新品同様であることを確かめながら再読している。

 

 

 

紹介文

 

《 彫刻家・高田博厚先生の思想と共に生きる電子欄(ブログ)です〔2014年3月25日開始〕。
自著『形而上的アンティミスム序説 ‐高田博厚による自己愛の存在論‐』(2009)の初志を、集合的容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害状態にも拘らず、継続実践します。

 拡大・内容

本書は、著者の intimisme métaphysique 〔形而上的アンティミスム〕とよぶ哲学理念の許、彫刻家にして思索家である高田博厚(1900‐1987)の根本思想を初めて本格的に明らかならしめようとする貴重な試みである。その意義は普遍的かつ根源的であり、人間の創造的生の条件が稀な真摯さで反省されている。学問・芸術の魂的原点の確認の為に、また、人生の意味の正面からの示唆を得る為に、「人間」であろうとする総ての人々に開かれた永続的価値をもつ書である。》

 

 

 

ぼくは哲学者であるが、哲学者としての自分を徹底することで、高田さんの真の友となりうるのである。そういうことが解っているから、この欄でもむしろ自分の思惟と思想を掘り下げることを中心とし、そのなかで高田さんを語ることを、じぶんの正道だと心得ている。ぼくの高田本がまさにそのような構成であるように。