いちおう書いておこう、人間は偽善的にしか仏になれない、これだな。これでも出来る人間は立派なものだ。そしてこの偽善は、人間が道徳的に出来る最高のことだ。だからといって、人間の恨みや怒りはけっして消えない。だから、仏心をやったら いつまでもそこ(仏心)に留まっていないで、離れることだ。じぶんが本心でくつろげる場に落ち着くことだ(相手だって、まともであれば それを望んでいる)。人間は人間であることをやめることはできない。最初に、こいついやだな、と思った者とは、永遠に和解できない。それを、真実を偽善ととりかえて生活できるとおもっている者が多すぎる。恨みや怒りを蓄積しているだけなのに、偽善で我慢していれば何もないものとおもいこんでいる。最初から気をつけて、怒りや恨みの根を撒かないようにするしかないのだ。

 

 

同時に

 

 

仏はこの瞬間のじぶんの全く自発的な言動なのだ。それを離れて天や仏があるのではない。そしたら天も疑わしいことを多くするようにみえる。天に依らずに人間がじぶんでやるしかないと思うようになるために。

 

 

瞬間 仏になったら、それはそれでいいじゃないか、持続しなくとも。 人間が瞬間だけ仏になるのだ。それで充分。