自由とは余裕なのだ。余裕の哲学をつくろう。哲学の中心課題は「自由」であることはよく言われてきた。しかしそれが余裕の創出であるとは言葉ではあまり言われない。だがまぎれもなく、デカルトが落ち着いた炉部屋を思索の場としたとき、アランが動物のような条件反射的思考を拒否したとき、ヤスパースが夢想を絶対的意識の中心機能に据えたとき、創出されようとしたのは「余裕」なのである。