愛があるから怒りがある、を一歩すすめて、怒りのないところに愛はない、と言うと、シェリングにそうとう近づく(かれは、「闘いのないところに生命はない」「悪のないところに愛はない」、と言った)。怒りが愛の脳幹を発達させるのだ。ぼくはそれがけっして幸福だとは思わないが。すると、愛と幸福はイコールではない。このことは、シェリングで論文を書いたマルセルも承認して、戯曲のなかの人物に言わせている。「わたしたちに起ったことで幸福なことは何もないわ」。

 

 

 

感情を希薄にすることばかりかんがえている日本人は、あまりにも愛を知らないのだろう。

 

 

 

「そうした闘い、悪の克服こそ、神の自己啓示の意味であり、歴史の意味である」。(シェリング) 

 

言うつもりではなかったが、露国はまさにそういう闘いを闘っている、と気づく。

 

(これも言うつもりではなかったが、日本の学者は日本の風土に乗っかって、誠実とは何かを知らないばかりでなく、己れの悪を認識していない。相手にしてはならない。)