三度めの再呈示
読んでいるときの感じがますます明晰である
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寛大になれない他者の欠点というものがあり、寛大になれる自分の欠点というものがある。これは一見、誰でもそうであるようだ。だから皆おなじ、だとはぼくには思えない。それでは何も言ったことにはならないからだ。
寛大であってよい欠点と、寛大であってはならない欠点とがある。
もっと言えば、人間には、この二種の欠点のどちらを持つかで分類される二種の人間がある。
人間の善性を論じるのは一般論である。正しくは、真に根源的な方向にある人間と、そうではない人間とがあるのだ。
ひとを判断できると思っている者をぼくは許さない。ぼくがこれを言うとき、これは一般論にはできない。ぼくの観点から言っているのである。だから、ぼくの観点を理解してはじめて、その普遍的で揺るぎないことが理解される。心理学的にあれこれ言うことは無益である。
ぼくはきょう、じぶんに一層自信が持てる経験をした。それを言うことはできないが、この不思議な奇蹟のようでしかも親密な、現実の証として経験された日を、ぼくは記憶する。何十年に一度しかない日だ。ぼくはやはり世がぼくに思い込ませようとしているのとは逆の人間だ。
ぼくは、欠点があってもじぶんに信念を持ってよい人間なのだ。