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人生はけっして小説のようにはなりはしない。しかし人間が言葉を使うことを本性とする存在であるかぎり、人生をも言葉で語り表現しようとする試みは、不断に為されるだろう。そういう営為そのものとその成果に共感と反発をつねに必然的に懐きながら。 これが「文学」の宿命というものである。  そこでどれだけ反省するかが人間の真を決める。 

 

 

人生は小説より以上か以下か。これは一般論になりはしない。各々の意志の問題だ。 言葉より以上か以下か。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間はどうして他者に言葉を投げつけるのか。その言葉に責任が持てるのか。言葉は愛でもあり、己れを地獄に落とすものでもある。 

 

 

 「筋肉馬鹿」という言葉が巷にはあるそうだ。しかしもっと多いのは「頭脳馬鹿」「気概馬鹿」であり、本性は筋肉馬鹿と変わらない。 知性とは何の関係もない。

 

 

 

 

 

愛こそは最大に思慮深い 智慧の智慧である。 学者の持っているものではない。

 

ツルゲーネフの示しているのもそのことである。