こころの脳幹(生命力を司る)を発達させるためには、死ぬような苦しい思いもしなければならないらしいのは、人間の逆説だろう。天がほんとうに生命そのものを奪わないよう、期待するしかない。そういう苦労をせずに勉強をコンスタントにやれて成った学者というのは、ひょっとして人間の屑と紙一重ではないかと思うことがある。

 ぼくの、集合容喙現象と呼ぶものと、不要の抗精神病薬による薬害という、二重苦難、そのほかの学業時の身心両面のスランプ苦が無ければ、そういう有頂天な学者になっていただろうと思うと、ぞっとする。

 

この世の逆説を正当化する理由など何も無いが、この世の裏を舐めてはならない。これは近現代人への忠告である。この裏の存在が何かは最後まで解らない。