いわゆる頭の良いこと、それのもたらすものは、何ら幸福を定義するものではない。 そうであるのに、もっとも愚鈍なひとですら、頭の良いひとを羨む。おそらくまだ愚鈍でありすぎていないのだろう。あるいは幸福を得ていないのだろう。 一方、どんな利口さを自任するひとも、利口であることの社会的レッテルを支えにし基準にするのをやめることができないほどの利口さでしかないようだ。