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このところ石原慎太郎氏の人物交流記を自由時間読書として読んでいたのだが、ぼくにとって大事な点を書いておく。氏の広範に交わる文学士、企業家、等の人々は、遊び人なのだなあ、ということを強く感じる。そこから文化の社会的出現も生じるわけなのだが、ぼくの路とはどこかちがう。そりゃ、一生懸命やっているだろうけれど、修道士と世間人のちがいがある。ぼくは、どちらがいいとか優れているとかいうつもりはない。ひとそれぞれの路があるから。しかしそこには、ヤスパースのいう「絶対的意識」あるいはそれに相当するもの(高田博厚さんにとっては「美」が絶対的意識に相当するものだった)を意識するか否かのちがいがある。これが、「真剣」であるか「遊び」であるかの違いとなっている、とぼくは思うので、そのことを記しておくのである。ぼくは、遊びを否定するのではない。絶対的意識から逃れられる生は無いように、遊びから逃れられる生も無い。人間の本質も、生理も、必然で不可欠なのである。ただ、本質を意識し、本質に向かう拘束性が有るか無いかが、違う。

 

不充分だがじぶんのための覚書である。